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平和

平和で豊かな未来を子どもたちに残せるように活動をすすめます。

2022沖縄戦跡・基地めぐり第40回 テーマ
『子どもと戦争』

~ 第40回 沖縄戦跡・基地めぐり ~

3月23日(木)~25日(土)の3日間、沖縄戦の歴史と基地問題について学び考える目的でピースアクション inオキナワが開催されました。コロナ禍による人数制限のため組合員の代表派遣は行わず、役職員4名が参加しました。

学習講演 「子どもと戦争」というテーマについての講演や報告

川満 彰さん(沖縄国際大学 非常勤講師)は、戦争孤児が暮らした孤児院では毎日のように人が死んでいった。引き取られた孤児は単に働き手として扱われ、多くが学校にも行けず読み書きも出来ないような環境から少年犯罪も増えていった。現在の沖縄の貧困はこのような戦後の背景を引きずっているところもあるのではないかと語られました。また、平良啓子さん(集団疎開船「対馬丸」の生存者)は、沈没後どのようにして生き延びてこられたのか当時の様子を生々しく語られ、このようなことが二度と起こらないよう伝え続けていくという強い意志が伝わってきました。最後に比嘉恒晴さん(琉球大学3年生)は、沖縄の高校生は基地問題への関心が年々低くなっており、「日本に復帰した日」の正答率が3割以下という現実について話されました。また県外の大学生には、沖縄が米国の統治下にあったことを知らない学生も多く、正しい情報や事実関係などを知ることが大切であり、同時に県外の人々と対話を広げるには他の地域の戦争体験にも関心を持つことが重要だと話されました。

フィールドワーク 対馬丸記念館 → 辺野古(テント村) → 瀬嵩の浜 → 嘉手納基地 → 普天間基地 → 嘉数高台

〈〈 対馬丸記念館 〉〉

入口付近には対馬丸に乗船していた2人の女の子のランドセルが展示されています。対馬丸とは別の船で運搬されたランドセルだけが、戦後親元に戻ったそうです。辛い記憶となったこれらは、長い間奥深くしまい込まれていました。

〈〈 嘉手納基地 〉〉

極東最大規模の空軍基地で、全長約4,000mの滑走路が2 本あるのは、民間空港を含めても国内では嘉手納のみです。嘉手納町の面積のうち、8割超が飛行場や弾薬庫地区に占有されています。

フィールドワーク ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館 → 轟の壕 → 平和の礎 → 魂魄の塔

〈〈 轟の壕 〉〉

東西に約100m延びる巨大なガマ(自然洞窟)。内部には小さな川が流れ、当時1000人以上の住民や日本兵が隠れていました。昼間でも真っ暗で、子どもが泣くと日本兵から恫喝されたため、味方にもおびえながら身を潜めていたそうです。

〈〈 魂魄の塔 〉〉

沖縄南部への撤退が始まると多くの人が逃げまどい、米須海岸に追い込まれました。米軍に見つかり撃たれて亡くなった人々が山のように折り重なっていたそうです。戦後住民が遺骨を集め、納骨所を作り納めた場所です。

美しい自然に囲まれた沖縄ですが一方で多くの戦跡や基地が存在しており、それらを目の当たりにすると沖縄戦のむごさや基地負担の大きさを強く感じます。実際に足を運び、知ること、そして伝えることが大切だとあらためて思い知らされました。