目的
長年、ララコープと共に平和活動をされている三田村静子さん制作の「平和の紙芝居」を組合員や他団体など多くの方に貸し出しをおこない、被爆の実相を継承し核兵器のない平和な世界を目指した活動をすすめていきます。
新たに「画像データ(USBメモリー)」と「朗読用音声CD」の貸し出しを始めました。
貸出対象者
ララコープ組合員、学校、行政、他団体など
※貸出・返却の際に、ララコープ本部、店舗、無店舗事業本部各支所、エリア事務所までお越しいただける方
※県外にも貸し出しできます!
貸出条件
- 活動の目的が、主として宗教活動、政治活動又は営利活動であると認められた場合は貸出致しません。
- 紙芝居は他に転貸はできません。また、複製も禁止します。
- 紙芝居の使用は屋内とします。
- 破損があった場合、実費を負担していただく場合があります。
- 貸出期間は14日間を上限とし、それまでにララコープ本部、店舗、無店舗事業本部各支所、エリア事務所への返却が可能であること、宅配による返却が可能であることとします。
- 貸出上限は、1団体につき、15作品それぞれ1部ずつまでとします。
- 複数の貸出申込が届いた時には、ご相談の上、貸し出し日程を調整させていただきます。
申込方法
ララコープ組合員活動部へ連絡後、所定の申込書に必要事項を記入し、借用する期日の14日前まで組合員活動部まで郵送かFAXをしてください。
こちらから申込書をダウンロードしてください。
「平和の紙芝居」作品リスト
※紙芝居の寸法は横42㎝、縦30㎝
※紙芝居の朗読時間は15~25分程度、( )内は音声CDの朗読時間
1.じいちゃんその足どげんしたと
爆心地より1.5㎞の自宅近くの畑で被爆。原爆で身も心も傷つき、生きてこられた小峰秀孝さんの被爆体験。(全17枚)(16分01秒)
推奨:小学生低学年以上2.爆心地の奇跡 ~防空壕に救われて~
爆心地、松山町の防空壕の中で唯一の生存者、黒川幸子さんの被爆体験。(全18枚)(21分56秒)
推奨:小学生中学年以上3.ふりそでの少女
原爆後、当時14歳の松添博さんが目撃した、ふりそで姿の少女2人が、火葬される悲しい情景が忘れられず、29年後の昭和49年に描いた1枚の絵をもとに作られた作品。(全15枚)(17分55秒)
推奨:小学生低学年以上4.松尾あつゆき 原爆句抄
松尾あつゆきさん、原爆によって1週間で家族4人を喪った壮絶な体験を書き留めた「原爆句抄」から7句を吟じる手法で構成した作品。(全15枚)(19分01秒)
推奨:中学生・高校生向け5.「平和」を刻んだ少女
小学1年の時に被爆し、家族5人を亡くした菅原耐子さんの被爆体験。6年生の時、仏壇の前で1か月練習して城山小学校の少年平和像台座に「平和」の文字を書かれました。(全17枚)(24分11秒)
推奨:小学生高学年以上6.哀しみと沈黙に生きて
田中キヲさん、被爆当時30歳。原爆で亡くした2人の子どもへの忘れえぬ想いを抱いて、毎日朝から夜まで畑に行って野菜作りと行商に一生をかけた91歳の生涯。「あんなひどいことが、あったらいけん」キヲさんの想いがつまった作品。(全17枚)(19分24秒)
推奨:小学生高学年以上7.原爆学級 ~城山小学校の戦いの記録~
戦後再開された城山国民学校で、被爆した子ども達が病に倒れていく姿を目の当たりにした先生方が、被爆した子と普通の子の体調や成長を比較して見守っていけるよう、世界初の「原爆学級」が作られるまでの経緯をたどった作品。(全18枚)(24分18秒)
推奨:小学生高学年以上8.あの子らの碑
原爆で亡くなった山里小学校の教師と児童やその家族の霊を慰め、永遠の平和を願うために永井隆博士が建立した「あの子らの碑」。その碑の由来や永井隆博士のメッセージを紹介した作品。(全12枚)(16分59秒)
推奨:小学生高学年以上9.被爆校舎は見た!物言わぬ語り部(城山小学校)
国指定史跡 長崎原爆遺跡の長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)の被爆校舎を擬人化した紙芝居。アンチ(南校舎)とオイ(北校舎)の当時の状況を写真と被爆証言で伝えています。(全18枚)(23分14秒)
推奨:高校生向け10.原爆と共に生きて ~放射線の悪魔と闘った~
三田村静子さんの被爆体験。爆心地から南西に4㎞離れた自宅で、その当時では珍しいお米のご飯を食べている時に原爆が落とされました。放射線の恐ろしさなどわからぬまま下痢発熱が2~3か月続き、体をむしばんでいった原爆の怖さを伝えた作品。(全14枚)(26分30秒)
推奨:小学生中学年以上11.髪留めがくれた命
原爆資料館に展示されている「母親の頭蓋骨の横で立ちすくむ少女」の被写体、龍智江子さんの被爆体験と、戦争の語り部として活動されるまでを語った作品。(全16枚)(18分08秒)
推奨:小学生高学年以上12.原爆と平和
原子爆弾を知らない子ども達に、投下後の街や被爆した人々の様子、そして放射線の恐ろしさや平和の大切さを伝える作品。幼児(未就学児)向け。(全11枚)(9分44秒)
推奨:幼児(未就学児)向け13.『黒こげの少年』聴け!声なき平和の叫びを
愚かな戦争と非人道的な核兵器使用に対する怒りを永遠に忘れずに、長崎を最後の被爆地とし、将来の核兵器使用を許さないため、「黒こげの少年」が残した声なき平和の叫びを伝えた作品。小学校高学年向け(全18枚)(17分20秒)
推奨:小学生高学年以上14.お母さんを焼いた運動場
「原子雲の下に生きて」という手記は被爆後4年、あるいは6年目に書かれた長崎の子どもたち37名の作文を永井隆博士が編集したものです。その中の一人、辻本一二夫さん(当時5歳)の作文を三田村静子さんが編集した作品。
原爆投下のその日、山里小学校ではたくさんの子どもたちや先生が運動場で被爆し、多くの方が亡くなりました。かろうじて防空壕の中で生き残った辻本君は、友だちや兄妹、お母さんが運動場で荼毘に付されるのを悲しみながら見守りました。原爆で大好きなお母さん、兄妹、そして友だちを一瞬にして失った辻本君の体験を通して、決して忘れてはならない戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを伝える作品。(全9枚)(4分50秒)
15.「8.9原子爆弾 未来への警鐘」
1945年(昭和20年)8月9日長崎に原子爆弾が投下された直後から翌日までの惨状を記録した写真等の公式記録は皆無に近い状態です。1995年当時、長崎県被爆者手帳友の会の会長だった深堀勝一氏は、その「空白の20時間」を被爆者自身の体験・記憶を絵画に表す事業に取り組みました。忘れられない惨状をありのままに描いた61点は、素人の作品ながら、当時を知る貴重な絵画資料となっています。その中から三田村静子さんが17点を選び構成した作品。(全18枚)(22分09秒)
推奨:小学生高学年以上制作者紹介
- 三田村静子(みたむら しずこ)
- 1941年 長崎市生まれ 3歳の時に福田で被爆 元看護師
生活協同組合ララコープ 組合員
※食育と平和について30年以上ララコープと共に活動しています。
その他、長崎市さるくガイド、平和案内人、長崎平和推進協会会員(継承部)、おりづるプロジェクトピースボートなどの活動をしています。
- ピースボート
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2008年 第1回おりづるプロジェクト被爆者地球一周証言の航海に参加。
証言活動を20か国でおこなう。2015年 第8回おりづるプロジェクトに「非核特使」として参加。
証言活動を23か国でおこなう。
- 経歴
- 2007年 内閣府より「エイジレス章」受賞
2015年 長崎市市政功労表彰
問い合わせ先
- 生活協同組合ララコープ
組合員活動部 - 所在地:長崎県西彼杵郡長与町岡郷1474番地
0120-063-087
FAX095-860-5883