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平和

平和で豊かな未来を子どもたちに残せるように活動をすすめます。

被爆体験聞き書き集「虹のやくそく」

戦争体験記・今も残る戦跡案内

被爆体験聞き書き集
「虹のやくそく-総集編-」

ヒロシマ、ナガサキの地に原爆が落とされてから、70年以上が経ちました。人間が人間でありえなかった「あの日」を、忘れないように、繰り返さないように、私たちは被爆者の方々の想い・願いを受け継がなくてはなりません。

この被爆体験聞き書き集「虹のやくそく」の声が、ひとりでも多くの方の心にとどき、平和な未来が実現されることを願います。

被爆体験聞き書き集「虹のやくそく-総集編-」
  • 長崎原爆被爆者の方、15名の体験を収めています。
  • 被爆当時の写真も掲載しています。

価格:500円(税込/送料別)

被爆体験聞き書き集
「虹のやくそく」

「北朝鮮脱出記」

長崎市にお住いの草野道子様よりご寄稿いただきました。

12歳の時、朝鮮半島北部の清津から引き揚げて来られる時の壮絶な体験となっています。

1910年から35年間、朝鮮半島は日本の統治下に置かれていて日本人も多く住んでいました。日本の敗戦を機に以前から朝鮮進出を狙っていたソ連が、朝鮮の北半分を占領しようとしていた時代でした。
5,000字を超える大作となっています。ぜひ、ご覧ください。



北朝鮮脱出記

「原爆記」

諫早市にお住いの小川久子さんより寄稿いただきました。

城山小学校で被爆後、小川さんは亡くなった同級生の母親から「なぜ、あなただけ生き残ったのか」と強く言われ、それ以降被爆者であることを沈黙し生きてこられました。90歳を迎えた時「90歳は卒寿であり、被爆者として自分を押し殺してきた私の人生も卒業」と世界の核兵器廃絶のため、また二度と自分と同じように苦しむ人を出してはいけないとの思いから「原爆記」を書き表しました。何度も訂正しながら半年かけて書きあげています。ぜひ、ご覧ください。



原爆記

「太平洋戦争記」

諫早市にお住いの梅林ミツヨ様より寄稿いただきました。

大村や佐世保で空襲が続き、いつ自分の所に空襲がくるのか不安な毎日を過ごしていました。昭和20年8月15日、戦争の終わりを告げる玉音放送を聞いていると途中で涙があふれ、「戦争が終わった事」を改めて実感し涙が止まらなかったそうです。その時、妹さんから「もう防空壕に入らないでいいのね」と言われた当時のことを思い出しながら、長い間心に留めておいた悲しい戦争体験をおよそ3ヵ月間かけて書き上げられました。いつまでも平和が続いてほしいとの想いが込められています。ぜひ、ご覧ください。



太平洋戦争記

諫早市小長井町にあるB29搭乗員の「鎮魂碑」について

諫早市小長井町にお住まいの組合員である梅林ミツヨさんより、ご自身の戦争体験「太平洋戦争体験記(戦後七十五年)」の寄稿をいただきました。その寄稿はララコープのホームページで紹介していますので是非ご覧になってください。今回、その梅林ミツヨさんの戦争体験の話に出て来るB29搭乗員の「鎮魂碑」について、ご紹介します。

長崎県諫早市小長井町小川原浦の海岸近く(諫早市立小長井小学校のすぐそば)にあるB29搭乗員の「鎮魂碑」は、1944年11月21日、坂本少佐が操縦するゼロ戦の体当たり攻撃を受け、海岸から約500m離れた小長井港沖に墜落したB29搭乗員の霊を慰めるため1993年に建立されたものです。搭乗していたのは、ジョセフ・キルブルー機長以下11名で、墜落により全員死亡しており、海岸に引き上げられた後、現地の住民の方々により手厚く埋葬されました。引き上げ作業には9日間ほど掛かり、引き上げられた遺体は消防団員や地区の人々によって火葬され、その遺骨は白木の箱に入れられて大村の憲兵隊に届けられました。白木の箱に入れることができなかった残った遺骨は、小ヶ浦の墓地に仮埋葬されました。戦後、遺骨を佐世保の基地から米軍が受け取りに来た時に、あまりにも丁寧に埋葬してあったので、大変感激され感謝されたそうです。戦時中とはいえ、人道的に敵国の兵士を手厚く埋葬した住民の方々の行動には胸を打つものがあります。現在、地元の有志が定期的に追悼式を開き、亡くなられたB29搭乗員の霊を慰めています。

体当たり攻撃をした坂本少佐機は、諫早市高来町の山中に墜落し坂本少佐は戦死しました。その後、遺体は地元の住人により発見され、現在は坂本少佐の死を悼む碑が建立されています。

(参考資料:第34号 文協こながい…平成28年3月31日)


小長井港沖の風景



B29搭乗員の「鎮魂碑」


「私の戦争体験記」

佐世保市にお住いの福本昭代さんよりお手紙をいただきました。
福本さんに取材をお願いし、幼少の頃の戦争体験と、早岐の「長崎原爆犠牲者之墓」という墓碑についてお聞きしましたので、いただいたお手紙を合わせてお伝えします。ぜひ、ご覧ください。



私の戦争体験記

「私の戦争体験記」

島原市にお住いの藤原基子さんより、戦争体験記を寄稿いただきました。
大切な人を戦地へ送り、残された家族の体験として書かれています。「戦争は絶対にすべきではない」との想いで書かれた体験記をぜひお読みください。



私の戦争体験記

「どうぞ安らかにお眠りください 諫早の地に悲願の慰霊の碑を建立」

長崎被災協・被爆二世の会・諫早で活動されている組合員の阿部明恵さんより、諫早市天満町の百日紅公園に建立された(2020年)「慰霊の碑」について情報をいただきました。ぜひ、ご覧ください。



「どうぞ安らかにお眠りください諫早の地に悲願の慰霊の碑を建立」

「私の戦争体験記」

長崎市にお住いの吉田藤子さんより、小学生の時に体験した戦争(原爆)体験のお手紙をいただきましたので、ご紹介します。ぜひ、ご覧ください。



私の戦争体験記

「母から聞いた戦争体験記」

佐世保市にお住いの眞野礼子さんより、お母さまから聞いた戦争体験のお手紙をいただきましたので、ご紹介します。ぜひ、ご覧ください。



母から聞いた戦争体験記

「引揚げ体験記」

佐世保市にお住いの鶴崎絹恵さんより、お手紙をいただきました。鶴崎さんに取材をお願いし、これまで家族にも明かさなかった戦争体験をお聞きしました。あまりにも強烈に残る戦争の記憶。戦後79年の今でも鮮明に思い出せるという事実に私たちは大変心が痛みました。取材後に浦頭平和記念公園の浦頭検疫所跡に建立された供養塔を訪れ手を合わせました。浦頭港を一望できる小高い丘から鶴崎さんが語られた光景を想像すると、平和への想いを強く感じます。



引揚げ体験記

「13歳の時の被爆証言」

長崎市にお住いの宇木和美さんより、被爆体験のお手紙をいただきましたので、ご紹介します。ぜひ、ご覧ください。



13歳の時の被爆証言

被爆体験聞き書き集
「虹のやくそく」の
編集発行にあたって

聞き書きボランティアの
募集/スタート

2002年8月に機関紙ララスマイルで聞き書きボランティアの募集を行うと同時に、 前回第4集の発行に携わった方、碑めぐりガイドボランティアの方にも呼び掛けを行い、総勢20名でのスタートとなりました。

10月に聞き書き運動を始めるにあたって、長崎原爆被災者協議会の山田事務局長を講師に学習会を開き、ポイントの説明を受け、準備を進めていきました。

訪問にあたって

被爆者の方は、長崎原爆被災者協議会と長崎平和推進協会・継承部会にご紹介を頂きました。

2名ペアで被爆者の方を訪問し、お話を伺いました。始めた時期が11月だったため、先方も体調を崩されることが多く、聞き書きは思うように進みませんでした。と同時に被爆者の方の高齢化が着実に進んでいることを実感しました。

今回は推進協・継承部会からも協力をいただき、被爆体験はもとより特に、若い人へのメッセージや平和への想いを語っていただきました。

被災協からご紹介をいただいた方からは、これまで埋もれていた被爆体験をお聞きすることができ、また、聞き書き集として記録に残すことができました。

一口に被爆体験と言っても、百人百様です。しかし、みなさん想い・願いはひとつで、反戦・反核と平和を望む声でした。

ご注文・問い合わせ先

生活協同組合ララコープ
組合員活動部
所在地:長崎県西彼杵郡長与町岡郷1474番地
フリーダイヤル0120-063-087 
FAX095-860-5883