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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

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2015-06-11 被災地のいま20
2015-06-10 被災地のいま19
2015-06-09 被災地のいま18
2015-06-08 被災地のいま17
2015-04-08 被災地のいま16

被災地のいま202015-06-11

苦しみの声をあげない生活困窮者
 
震災で貧困層が拡大した。そんな話をよく聞きます。最近行われた調査(※)では、被災した2,338世帯のうち年収200万円未満(課税前)の低所得家庭が震災後6.2%増加し、全体の約3割を占めていました。低賃金で家計を支えるシングルマザーやぎりぎりまで生活費を切り詰める高齢者など、弱い境遇にある人ほど状況は深刻です。
 
東松島市くらし安心サポートセンター(東松島市社会福祉協議会)の阿部誠さんは、昨年、生活困窮者支援モデル事業に取り組む中で、“義援金でやり繰りしてきたが使い果たしてしまった”“精神的に落ち込んで仕事を再開できない”など、まさに生活困窮に直面している人たちに向き合ってきました。しかし一方で、「震災による生活困窮者の全体像が見えてこない」とも感じています。
 
同センター所長の千葉貴弘さんは、仮設住宅入居者の支援業務にあたっていますが、「“生活が苦しい”と自ら手をあげる人が少ない」ことに気付きました。こんなことがあったそうです。「災害公営住宅への転居費用は一時本人が負担し、その後補助を受けるのですが、当座の6、7万円のお金が用意できない方がいました。被災者サポートセンターの職員が気付いて対応できましたが…」。辛さや苦しさを抱えたまま声をあげずにいると、誰かが気付かない限り、支援の網の目からこぼれ落ちてしまう可能性があります。
 
「そうした潜在的な困窮者がいることを、頭に入れておかないといけない」と千葉さんは言います。「仮設住宅の場合、家賃がないことが生活困窮者の存在をより見えにくくしている」と、阿部さんは指摘します。東松島市の災害公営住宅は現在321戸が完成していますが、すでに家賃の滞納があるという話も耳にしており、今後の行方を気にします。生活再建の道を着実に歩む人と、生きるのが精一杯の人の差がどんどん開いていく被災地。一人ひとりの事情を踏まえ、自立のための支援を続けることが求められています
 
※「被災地・子ども教育調査—2014年」(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン)




被災地のいま192015-06-10

“心”の回復の格差
 
「津波に流されたけど助かりました」「PTSDの治療を受けています」。4年を経過してようやく被災体験や苦しい胸のうちを語れるようになった方々がいます。それもすべてを吐き出すのではなく、ごく一部分をポツリと。宮城県の調査(※)では、「支援が必要な程度の心理的苦痛を感じている人」の割合は8.2%に達しています。また19%の人が「災害を思い出して気持ちが動揺することがある」と答え、16.9%の人に不眠の症状があります。
 
(社)宮城県精神保健福祉協会が運営する「みやぎ心のケアセンター」気仙沼地域センターの片柳光昭さんは、「皆さん多かれ少なかれ“トラウマティック”な体験をしているので、語れずにいることが常に心のなかにある」と話します。さらに最近は、震災直後から指摘されていた「ハサミ状格差」(ダメージから回復できる人とできない人の差が時間の経過とともにハサミが開くように広がっていくこと)が、より顕著になってきました。片柳さんが被災者と話をする中で実感したのは「いったんPTSDが回復しても生活上の課題をクリアし続けないと現状を維持できない」ことでした。預貯金等の経済的基盤があるか、仕事があるか、あるいは継続できるか、家族の関係性はどうか、また、例えそれらの条件が整っていても仮設住宅では近隣との人間関係が良くないことで、メンタルヘルスは悪化することがあります。このように生活上のハードルを乗り越え続けないと、“上向きのハサミの刃”にはなれないのです。さらに高齢者や障害者を支援する側の人たちも人手不足で疲弊するなどの状況が重なり、ケアの難しさに拍車をかけています。
 
「震災で人口流出や高齢化が加速した。まちに残った住民に様々な負担がかかり、その結果としてメンタルヘルスの悪化を招くという状況になりかねない」と、片柳さんはすべての問題が連動するがゆえに解決を難しくしている被災地の現状を訴えます。「心の復興はまちの復興と連動している」と言われます。「きちんとした住まいが手に入り、雇用環境も良くなることが心の復興を後押ししてくれる」。新しいまちができるのはまだまだ先。心のケアの取り組みはこれからも続きます。
 
※「平成26年度応急仮設住宅(プレハブ)入居者健康調査」




被災地のいま182015-06-09

これからも待ち受けるハードル
 
沿岸部の景色はまだら模様に変化してきました。がれきの処理が終わり、土地の嵩上げ工事や復興住宅の建設が進む一方で、壊れた防波堤や水門、建物がいまだに残る場所もあります。仮設住宅には現在も約7万人が暮らし、集団移転事業で住宅建設が可能になった宅地は計画の3割にも達しません(※)。造成工事が長引き、地価や建築費の高騰でより厳しい状況に直面している人や、移転を待ちきれず故郷を出た人たちもいます。
 
南三陸町志津川地区まちづくり協議会は、住民による自主的な復興まちづくりを進めるため、集団移転や市街地形成など様々な協議を重ね、意見を集約して行政に提言しています。「4年も経つので住民の間には焦りや不満が出ている」と協議会の及川善祐会長は話します。「しかし我々住民の気持ちがバラバラでは統一したまちづくりはできない。そうならないように良い方法を決めて、協力し合う環境をつくっていくのが協議会の役目です」。
 
集団移転一つとっても区画配置、移転方法、店舗付住宅の内容など懸案事項は無数にあります。さらに高齢化が進む移転先で買物や病院、交通など生活に必要なインフラをどう確保するか、個々のニーズと公平性のバランスをどうとっていくかを考える状況が続きます。
 
志津川地区には3ヶ所の集団移転団地が計画されています。工事完了はまだ先で、なかには再来年引き渡し予定の区画もあります。家が建つのはその後で、さらに新コミュニティ形成という最大の課題が待ち受けています。
 
及川会長は「いままで交流のなかった者同士が隣組になる。そのなかで新しいコミュニティをつくっていかなければならない」とその難しさを説明します。ハードルはまだまだ幾つも残っています。被災した方々がそのハードルを飛び越える過程で確実に希望の種を増やしていくことを祈らずにはいられません。
 
※宮城県「復興の進捗状況 平成27年2月11日」



 

 

被災地のいま172015-06-08

「生きがいを失いたくない。」手しごとコミュニティのいま
 
震災発生から間もなく4年、伝えたいことは何ですか?
被災した方々にそう尋ねると、「震災の時はありがとう。これからも被災地を忘れないでください」との言葉が返ってきます。「忘れられると、社会から見捨てられそうで不安です」と話す方もいます。実際、徐々に震災報道は少なくなり、宮城県へのボランティアも‘11年度の526,000人から‘13年度56,000人と約10分の1に減少しました(※1)。
 
被災後、生きがいやコミュニティづくりのために手作り品の制作・販売を始めた「手しごとコミュニティ」の人たちはいま、そうした震災の風化や被災地の環境変化に向き合っています。
手しごとコミュニティの運営を支援するNPO法人「応援のしっぽ」の広部知森さん(代表理事)は、「商品販売量は最盛期の3分の2ぐらいまで減少している」と指摘します。
手しごとコミュニティでは黙々と手を動かすことで心を癒し、作った商品が喜ばれるという体験を通じて笑顔と誇りを取り戻してきました。「人間関係に苦労しながらも結びつきを強めた団体がありますし、解散の危機を乗り越えたところもあります」。手しごとの場の消滅は、そうした強い結びつきを持つ人たちの生きがいを奪うことになります。
 
そのため「仮設住宅から転居しても活動を続けたい」と声があがるようになりました。
商品の開発に取り組む団体や高齢者の笑顔づくりを目的とする団体、手作りが趣味の団体と、形はさまざまです。
 
「いまはそれぞれの方向性を自分たちで決めていく時期。復興を支えるには小さくて多様なコミュニティがたくさんあった方が良い」と広部さんは言います。心の復興はこれからと言われる被災地で、生きがいを求め、手しごとの小さなコミュニティを守ろうとする人たち。私たちは、この時期だからこそ、手しごと品の購入を通して、「忘れていない」ことを伝え続けていくことが大切なのかも知れません。
 
※1 宮城県災害・被災地社協等復興支援ボランティアセンター「ボランティア活動人数報告」




 

 

被災地のいま162015-04-08

店も顧客も喪失、ゼロから始める経営再建
 
廃業か再建か。仮設商店街の商店主たちはこの4年間、何度も岐路に立たされてきました。顧客だった地域住民は被災で散り散りになり人口も減少。加えて資金や後継者の問題などもあり、「再建して果たしてうまくいくのか…」。将来への不安と希望のあいだで揺れ動く日々を送ってきたのです。
 
2014年10月、気仙沼市の「鹿折復興マルシェ」が、嵩上げ工事のため元の場所から移転し再オープンしました。ただしそこも区画整理事業のため2016年8月末には閉鎖になります。
 
他の仮設商店街でも、「しおがま・みなと復興市場」が2016年8月末まで、「南三陸町さんさん商店街」が2016年11月末までと存続期限が決まっており、復興事業の進展の中で商店主たちは新たな決断を迫られています。
 
山元町合戦原の仮設商工施設で理容室を営む辻憲子さんは、新市街地に店舗兼住宅を建て営業を再開する予定です。「土地の引き渡しが今年9月、店舗の完成はその先だからまだまだ時間がかかりますね」。
 
震災後の住民離散で、辻さんの店も大勢の顧客を失いました。仮設商工施設への入店後は、隣接する仮設住宅からの来店客が増えましたが、新市街地へ移転すればそれもまた変わります。  
 
固定客相手の商いであるはずなのにその顧客は、いまも流動的な状態が続きます。「新市街地も、以前住んでいた地区とは大きく環境が変わるので不安ですよね」。店も顧客も失い、マイナスから出発した商店主たちにとって、本格再建は決してゴールではなく、ようやくゼロ地点に立ったようなもの。1年後、2年後の本格再建で再び経営の試練と向き合うことになるのです。