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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

80件中 71~75件目(15ページ目)を表示しています。

2014-12-11 被災地のいま10
2014-07-15 被災地のいま9
2014-06-05 被災地のいま8
2014-04-22 被災地のいま7
2014-04-21 被災地のいま6

被災地のいま102014-12-11

依存症の背景にある不安

「まさか3年以上も仮設住宅にいるとは思わなかった」。最近そうした嘆きをよく耳にするようになりました。
 
長引く避難生活は生活不活発病やアルコール依存症などの引きがねとなります。仮設住宅入居者を対象にした県の健康調査(※)では、「震災前に比べ日頃の生活で体を動かす機会が少なくなった」との回答が約半数を占めました。「朝または昼から飲酒する」人の割合は前年度より増えており、特に男性にその傾向が高くなっています。また21.1%の人が「災害を思い出して気持ちが動揺することがある」と答えています。
 
女川町は人口の約1割が津波の犠牲になりました。「皆さん喪失感が大きい」と町健康福祉課の三浦ひとみさんは言います。町は「こころとからだとくらしの相談センター」事業で町内8カ所に心と体の専門員や相談員を配置。「外出して人と交流する。その積み重ねが生活不活発病の予防になる」と考え、健康体操やお茶会、戸口訪問を行っています。
 
アルコール依存症の人も増えています。「依存症には津波で家族を喪った、家を無くして借金があるなど様々な背景があるので、半年や1年で解決するほど簡単ではありません。本人が治療してみようという気持ちになるまで寄り添うことが大事」と長期にわたるケアを重視します。
 
女川町では今年3月待望の災害公営住宅が完成しました。しかし計画945戸のうち出来たのは200戸だけで、残りは2年後の平成28年度を待たなければなりません。「引越してまた一から隣人関係を築き直す不安もあれば、あと2年間仮設に居なければならないという不安もある。そうした不安を専門員だけでなく、いろんな人が見守りながら受け止めていければと思います」と三浦さんはその思いを話してくれました。

※宮城県「平成25年度応急仮設住宅(プレハブ)入居者健康調査結果の概要」




 

 

被災地のいま92014-07-15

急がば回れの合意形成
 
被災した自治体のなかには、集団移転や街づくりなどで住民との合意形成がスムーズに進まず計画が停滞しているところが少なくありません。

本来なら、行政が提示する複数の計画案を住民が検討して合意に至るべきなのですが、震災の非常事態で行政も住民もそのための時間を十分にとれませんでした。復興事業の着手を急ぐ行政の対応に住民から疑問の声があがり、結果として計画の遅れを招くことになりました。
 
一方、気仙沼市内湾地区では防潮堤の高さを巡って行政と住民が対立。しかし県・市・住民の三者で議論を重ね、計画の変更を経て合意形成に至っています。
 
菅原昭彦さん(気仙沼商工会議所会頭)ら地域住民は、県の提示する防潮堤計画に高さの見直しを求めましたが、当初は平行線のままでした。「しかし、ただひとつ一致したのが復興を遅らせてはならないということでした。そこから県・市・住民が互いの役割を明確にして議論していこうと話が進んだのです」。
 
気仙沼市内には防潮堤を巡って話し合いの続く地域が、まだ幾つかあります。「合意形成には行政の丁寧で誠実な対応がなければならないし、住民が勉強する時間も必要」と菅原さんは言います。「県は内湾地区に対し、ここ数カ月きちんと対応してくれました。同じ対応を他の地区でもやってくださいとお願いしています。合意形成に至るプロセスで必要なのは、急がば回れの精神なのです」。
 
丁寧さが復興のスピードを上げる近道でもあることを、気仙沼内湾地区の事例は教えてくれます。




 

 

被災地のいま82014-06-05

仮のコミュニティに身を寄せて
 
震災で、大きな被害を受けた沿岸部の人たちは、長年培ってきたコミュニティを離れ、バラバラに暮らさざるを得ない状況へと追い込まれました。
 
仮設住宅も様々な地域から入居した人が多く、コミュニティの分断は一層進みました。仮設住宅では新たなきずなも生まれましたが、結局は自立までの仮のコミュニティに過ぎません。実際、現在は自宅再建や再就職による転出者の増加などで、空洞化が進んでいます。
 
東松島市「グリーンタウンやもと1」の内海聡子さん(グリーンタウンやもとひまわり集会所代表)は、「引越業者の姿を見ない日はないほど、転出が増えている」と言います。
 
グリーンタウンやもと1は自治会ができる前から、ゴミの整理や夜間の見回りを自主的に行なうなどコミュニティ活動が活発でした。しかし活動に熱心な人たちほど早く自立し、昨年は、自治会役員7人のうち4人が転出していきました。

今後は、民有地の返還にともなう仮設住宅の集約・統合が、住民を待ち構えています。「災害公営住宅など、終の棲家(ついのすみか)への転居なら、落ち着いて暮らせるからまだいいのです。でも仮設から仮設に移り、災害公営住宅の入居を待ちながらもう一回、知らない人たちと交友関係を結んでいかなければならないなんて…。ストレスでしかありません」。
 
被災した人々は、自分たちのコミュニティが壊れていく現場に立ち会ってきました。それは想像以上に重い負担だったに違いありません。3年のあいだに故郷に戻りたくても戻れず、気力も体力も弱って仮設住宅で亡くなった高齢の方も多数います。

元のコミュニティを去り、そのつど異なるコミュニティに身を寄せる暮らし。そして将来に希望が持てない、そんな心細さと向き合う人たちが、被災地にはまだ大勢いるのです。



 

 

 

被災地のいま72014-04-22

失われた販路、減っている取引量
 
宮城の基幹産業である水産加工業の売上げは、設備がある程度整ったいまも震災前の水準に戻っていません。理由は、震災で一度途絶えた販路が回復しないことや、販路は戻っても取引量が減少していること、人手不足で工場の稼働率が下がっていることなど、さまざまです。
 
阿部善久さん(塩釜蒲鉾連合商工業組合)は、「震災で出荷がストップしている間に他産地の商品に切り替えられてしまい、それが戻ってきていない」と話します。
 
(株)丸ほ保原商店は、販路はすべて回復しましたが原料不足や取引先への出荷量減少で売上げは回復していません。
「震災前は毎年約120トンから200トン出荷していた商品が、震災後は風評被害の影響で年間6トンにまで減った」と保原敬明さん。
 
(株)スイシンの小山洋一さんも「取引先は戻ってきたが、他社商品に切り替わった分が回復していないので売上げは震災前の7割。人手不足のため販路が増えても対応が難しいというジレンマもある」と言います。
 
宮城県漁協の芳賀長恒さんは「新たな付加価値を付けた商品を開発していかなければマーケットは受け入れてくれない。みんなで英知を出し合う必要がある」と、水産加工業界の今後の方向を話してくれました。
 
販路、生産量、労働力など3年の間に大きく変わった事業環境にどう対応していくか。被災地の企業は震災前以上に厳しい競争のなかを闘っていかなければ、真の復興はない、という状況におかれています。



 

 

 

被災地のいま62014-04-21

事業再建をはばむ風評被害
 
東京電力福島第一原発事故による風評被害が、被災事業者の再建をはばむ大きな要因のひとつになっています。
 
農水畜産業者は、国が定めた厳しい検査基準を満たしているにも関わらず「宮城県産は残留放射能不検出(ND)でも扱わない」として取引停止に遭うなど、苦境が続いています。
 
宮城県の調査では、水産加工業者の約7割、一般栽培農業者の約6割が「風評被害があった」と回答しています。被災4県(青森・岩手・宮城・福島)の水産加工業の9割は震災前よりも売上げが減少しており、風評被害が事業再建を一層困難なものにしていることが分かります。沿岸・沖合の水産物への影響も大きく、なかには震災前の半額以下で取引されている魚もあります。
 
宮城県漁協志津川支所の阿部富士夫さんは「震災前は1キロ450円だった銀ザケが震災後は250円、371円と採算ラインを割る単価で推移しています。今年からエサ代が一気に上がるので最低1キロ500円を超えないと銀ザケ養殖業自体が無くなる可能性もあります」と危機感を抱いています。
 
また、水揚げした魚介類は毎朝、魚市場で放射性物質検査を行い、「いずれも残留放射能不検出なので安心して食べられるのですが、風評の影響で他の産地に市場を奪われたものもあります」と阿部さんは実情を話して下さいました。
 
被災地の事業者は「3年経つのだから」と支援からの自立を求められ、また自ら懸命な努力もしているのですが、風評はその努力をも無にしてしまうものとなっています。
 
※数値は宮城県「宮城県の風評被害の現状と調査結果について—概要版」(平成24年9月14日)、
東北経済産業局「グループ補助金交付先アンケート調査」(平成25年9月)より