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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

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2015-04-07 被災地のいま15
2015-04-06 被災地のいま14
2015-03-20 被災地のいま13
2015-03-19 被災地のいま12
2015-03-18 被災地のいま11

被災地のいま152015-04-07

スピードアップが求められる復興事業
 
誰もが経験したことのない甚大な被害をもたらした東日本大震災。行政も、地域の再生・復興のために懸命な努力をしています。今回は、気仙沼市震災復興・企画部の鈴木忠春課長に復興の進捗状況についてお話を伺いました。
 
小山のような盛土の間をダンプが往来し、重機が動き回っています。浸水した土地を再び生活や仕事の場にするための嵩上げ工事です。高台では山を切り崩して宅地造成工事が進みます。インフラ整備を経て、家や店舗・工場を建てるのはさらにその先になります。
 
宮城県の防災集団移転促進事業の進み具合を見ると、196地区のうち住宅建築が可能になったのは42地区しかありません(※注)。被災地の復興はまだこれからであることが分かります。
 
約9,500世帯が被災した気仙沼市では、住宅再建の復興事業に加速がついています。「入札や他の事業との関係で多少の遅れが出ているところはありますが、おおむね予定通りに進んでいます」と鈴木課長が進捗状況を説明してくれました。
 
「ただ、ここに至るまで時間がかかっていますから、被災された皆さんは、今か今かと待ち望んでいるわけです。毎日のように防災集団移転の造成地を見に来て、“今日は重機が何台動いてるね”と話していく人もいる。そんな話を聞くと、我々の仕事の段取りが悪くて遅れることだけはないように、と思いますね」。被災自治体の職員の多くがそうであるように、鈴木課長も被災者の一人です。住民と気持ちを共にしながら、今後も復興事業を担う強い想いを感じました。
 
「平成27年度までが集中復興期間とされているのですが、復興事業はこれからも続きます。国には集中復興期間を延長したり、28年度以降も潤沢な予算を確保してほしいと要望を出しています」。
 
マンパワーも必要です。「予算があっても、人手がないと事業は進みません。現在も全国の自治体から応援に来ていただいていますが、計画通り復興を進めていけるよう、これからも応援をお願いしたいと思っています」。
 
道半ばの復興事業。予算と人材の集中で加速させていくことが求められています。
 
※2014年10月31日現在(宮城県、復興の進捗状況より)




 

 

被災地のいま142015-04-06

待たされる家選び、慣れない住み処
 
被災地では災害公営住宅の建設が本格化するとともに、被災した人々の入居登録が進んでいます。
 
入居希望者は自分たちの生活再建計画を念頭に、立地や完成時期、入居条件を見て災害公営住宅を選びます。しかし誰もが望み通りに入居できるわけではありません。抽選に外れれば次の募集を待つことになり、その分、新生活のスタートも遅れます。
 
「いつになったら引っ越しできるのか」「家が決まるまでは仕事や子どもの学校など将来の計画を立てられない」。なかには「抽選に外れ、辺鄙な場所を選ぶしかなかった」人や長期の避難生活に家族関係が破たんし、災害公営住宅の申し込みを機に離婚に至った人もいます。
 
高齢者の多くは災害公営住宅を終の棲家と定めますが、慣れるには時間がかかります。被災前に住んでいた地域が農漁村であればなおさらでしょう。「4階に入居した身体の不自由な高齢の夫婦が、エレベーターが止まったらどうしようと心配していたり、下りる階を忘れて迷ったり」。南小泉のみなし仮設住宅に住む大久保紘子さんがそんな話を聴かせてくれました。
 
経済的な不安もあります。「入居時に敷金3ヵ月が必要。家具も買わなきゃならないし、引越し補助金が出ても負担は大きい」。当初は安く設定された家賃も、数年後には見直しで負担が増します。
 
入居先での孤立を防ぐにはコミュニティも重要な問題です。「仮設住宅の集会所はオープンにしているところが多いけれど、災害公営住宅の集会所は鍵をかけてしっかり管理されてるでしょ。気軽にふらっと立ち寄ることはできなくなる」と花渕みどりさんは心配します。
 
家も集落のつながりも失った人たちを待ち受けているのは、震災がなければ直面することもなかった人生の選択と厳しい生活です。せめて希望した災害公営住宅で人の縁にも経済的にも安心できる生活を送ってほしいと願わずにはいられません。





 

被災地のいま132015-03-20

カビで救急車搬送、劣化が進む仮設住宅
 
プレハブ仮設住宅の環境は歳月を追うごとに劣化の一途をたどり、入居者を心身ともに追い詰めています。
 
石巻市では、大量に発生したカビで呼吸困難に陥り救急車で運ばれた住民がいました。建物の傾き、土台の腐食、床のきしみを訴える声もあちらこちらから上がります。
 
「NPO法人石巻復興支援ネットワーク(やっぺす)」で清掃ボランティアに取り組む渡部慶太さん(同法人理事)は「畳をはがすと水滴が大量に溜まっている。網戸が外せないので埃がたまり、ドアが閉めづらいので換気が難しい」と言います。
 
同法人代表の兼子佳恵さんは、プレハブ仮設住宅の居住性に格差があることを指摘します。「早期建設が優先されたとはいえ、どのメーカーもこれまでの災害から入居期間の延長を想定できたはず。基準通りの施行であっても、ある団地はトラブル続きで、別の団地は3年経っても問題が少ないと聞いています」。
 
なかには「この仮設に住んで良かったと思える数年間にしたい」といち早く仮設への入居を決めた人がいます。よもや自分の住む場所が数年後にはカビだらけになりビニールテープで仮補修するようになるとは思っていなかったことでしょう。
 
さらに石巻市や女川町では、復興公営住宅の完成と合わせて仮設住宅の空室が増えると予測し、集約化の検討を始めました。「以前も集約化の話が出たけれど、話し合いで解決したと聞いた。住民は、つど情報に振り回されて不安になる」と兼子さんは、3年を経過して一層不安定になっている住民の心理状態を心配します。
 
4畳半2間に大人が3人で暮らすような生活がいつまで続くのか。「私たちは早く日常を取り戻したいだけなんですけどね」と話してくれました。





 

被災地のいま122015-03-19

販路喪失と風評被害からの回復をめざして
 
宮城は日本有数の水産県で、大型漁港に水揚げされるマグロやカツオ、サンマをはじめ、浜ごとに養殖されるカキ、銀ザケ、ワカメなど多種多様な水産物を国内外に送り出しています。
 
大震災の発生から3年半。漁船や養殖施設の復旧に伴い、水産物の生産量は少しずつ回復しています。近海カツオ・マグロなどの水揚げは6〜7割、養殖の銀ザケは約8割、ワカメは震災前の水準を超えました。ことしの初夏には、生育に3年かかるホヤが震災後初めて収穫されています。カキの生産量減少や価格低迷、復旧工事の遅れなど厳しい状況は変わらず続いていますが、海は徐々にかつての豊かさを取り戻しつつあります。
 
しかし最大の課題は、その水産物の販路をどう確保していくかです。「震災で宮城の水産物供給がストップしている間に、他の産地の物に取って代わられてしまった」。宮城県漁協の丹野一雄会長は、販路がなかなか回復しない現状を話してくれました。
 
追い打ちをかけたのが、放射性物質飛散事故でした。「特に関東以南は不安視する販売店が多く、取引を拒まれました」。宮城の水産業は、震災で多大な打撃を受けただけでなく、風評被害という負荷も背負うことになったのです。放射性物質検査で基準を超える水産物は一切流通させていないにも関わらず、「風評」はいまも続いており、「県や国の協力を得ながら解消していくしかない」のが現状です。
 
一方、そこで踏みとどまるよりも「これまで以上に販売力を強化していきたい」というのが丹野会長の考えです。宮城の水産物をPRするため、関西でも販売促進のイベントを予定しています。「震災だから協力してほしいという時期は過ぎた。宮城の水産物は美味しいので買ってほしい、と自信を持ってお奨めしていきます」。
 
※宮城県「復興の進捗状況—平成26年7月11日」「東日本大震災からの復興状況(水産業関連)—平成26年5月」




 

 

被災地のいま112015-03-18

ケアされない子どもたちへさらに支援を
 
子どもたちは、地震・津波の恐怖はもちろん、親や友人との離別など大人でさえ乗り越えるには困難な体験をしてきました。先ごろ河北新報社(宮城県に本社を持つ新聞社)が沿岸部の小中学校を対象に行った調査(※)では約7割の校長が「自校の児童・生徒に震災の影響と思われる問題がある」と答えています。
 
小林純子さん(災害子ども支援ネットワークみやぎ代表世話人)は、「震災後3年の間に再就職できたり自宅を建てたりして生活再建できた家庭と、未だに回復できていない家庭の状況はかなり異なり、それが子どもにも反映している」と言います。
 
震災で受けた心の傷が十分にケアされず、ストレスを溜めている子が多いこと。保護者の傷つき度合いが激しいほど子どもの気持ちは放置されがちなこと。そのなかで大人の様子を伺いながらじっと我慢している子どもたちが多いことを、小林さんは憂います。
 
また乳幼児へのケア不足も指摘します。「学校や幼稚園・保育園ではスクールカウンセラー、先生方が子どもを支えてきたが、乳幼児はそうした組織的なケアがなかったため、震災体験を強く引きずっている母子がいる」。
 
なかには母親がうつ状態となったため、震災後に生まれたにも関わらず無表情などのうつ症状が出ている乳幼児の例もあります。「津波や地震を体験しなかったから大丈夫なわけではない。震災の影響は後々まで引き継がれていってしまう。これから10年20年とずっと見守っていくことが必要」と小林さんは訴えます。
 
震災体験を語り継ぐ一方で、傷ついた心は引き継がないようケアしていく努力が、関係者はもとより周囲のすべての大人に求められているのかも知れません。
 
※河北新報社が2013年12月宮城県沿岸自治体15市町の公立小中学校245校を対象に実施した調査