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2017-11-21 | 被災地のいま45 |
2017-11-20 | 被災地のいま44 |
2017-11-17 | 被災地のいま43 |
2017-04-10 | 被災地のいま42 |
2017-03-22 | 被災地のいま41 |
被災地のいま452017-11-21
地域に、人が集まり、仲間が助け合える場をつくる−戸倉漁師の会
宮城県沿岸の漁港142ヶ所はすべて震災で甚大な被害を受けました。とくに漁港と集落が一体となった地域は生業だけでなく暮らしの基盤も失い、住民離散による故郷消滅の危機にも見舞われました。
その戸倉地区に2年前、新鮮な海の幸や山の幸を提供する「感謝祭」の開催とオリジナルの商品づくりに取り組む漁業者のグループが誕生しました。「戸倉漁師の会」です。
また漁業の6次産業化を目指し、カキを酒粕で漬けた「ほろ酔い牡蠣」やヒジキのシバ漬けなど新たな商品開発にも挑んでいます。
被災地のいま442017-11-20
人口が減っても、経済が回り、選ばれる町を目指す
人口が集中する都市部。なかには被災した町を故郷に持つ人もいることでしょう。 震災後、沿岸部の町では数千人規模で住民が流出するなど急激な人口減少が進んでいます。被災市町にとって、復興の担い手となる住民の流出は大きな課題です。
女川町は震災前に約1万人だった人口が約6千7百人にまで減少しました。今後日本全体で人口減少が進むなかで、町は厳しい現実を冷静にとらえ、「人口減少下においても賑わいと活力を維持し続けられる町を目指す」ことを総合戦略(※)に掲げています。
また、「創業本気プログラム」からはすでにレストランや手造り石けん工房などの事業が道を拓いています。「地方で魅力的な仕事をつくる人を増やして、Iターン・Uターン者の流入を促したい」と後藤さん。「人口減少は日本全体で始まっている。人口が減ってもその地域の経済が回り、文化がつながっていくことが大事。女川町でそのモデルをつくることができれば」と将来に目を向けます。
※「女川町まち・ひと・しごと創生総合戦略」(平成28年7月策定)
被災地のいま432017-11-17
住民の自治で新しい故郷をつくる
防災集団移転地や復興公営住宅は、震災で家と故郷を失った人たちの生活再生の場所です。
東松島市あおい地区は580世帯、約1800人が暮らす防災集団移転地です。大曲浜や野蒜(のびる)など様々な地域から移転した人たちが「日本一のまち」を目指し、コミュニティ活動を進めています。
同地区会会長の小野竹一さんは、「日本一のまち」の意味を「子孫に喜ばれるまち、亡くなった方の魂が帰ってこれるまち、支援してくださった全国の皆さんに“見に来てください”と言えるまち」と話します。そのため2012年からまちづくり整備協議会を立ち上げ、特色ある公園や集会所の建設、ペットとの共生などを実現してきました。
協議会の役員は、地域の仕来り(しきたり)やルールなど様々な声を反映できるよう、以前住んでいた各行政区から必ず1人は選出するようにしました。1丁目・2丁目・3丁目の区割りは、高齢化率を踏まえ、復興公営住宅と自力再建地区の組み合わせにしました。自力再建地区に多い若い世代が、復興公営住宅に多い高齢者と一緒に自治会活動を行なうことで自然な見守りができると考えたからです。
また、あおい地区会として「見守り部会」を設け、お茶会や訪問見守りなど高齢者の状態に応じたサポートを行なうことにしました。高齢者の健康維持のために「あおい農園」設置の計画もあります。
小野さんは東松島市に「住民による高齢者支援を地区会に業務委託してほしい」と要望しています。「NPO等が委託を受けて活動している例もあるが、いつかは撤退する。支援のノウハウも地元に残らない。見守りは介護予防、ひいては行政のコスト削減につながるし、業務委託は自治会の活力にもなる。市と社会福祉協議会、あおい地区会の三位一体の取り組みができれば」と話します。
防災集団移転による新しいまちづくりは、どこも始まったばかり。あおい地区と同様に多様な課題を一つ一つ乗り越えていかなければなりません。自治会の担い手がいるか、行政とうまく連携できるか、交流や支え合いをどう生み出していくか。失った故郷に変わる新しい故郷をつくるための取り組みが続きます。