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2015-10-13 | 被災地のいま25 |
2015-10-12 | 被災地のいま24 |
2015-08-20 | 被災地のいま23 |
2015-07-06 | 被災地のいま22 |
2015-06-12 | 被災地のいま21 |
被災地のいま252015-10-13
〜地域再生に向けて〜
時間の壁と向き合いながら進めるまちづくり
被災した市町では地域再生に向けた新たなまちづくりが進んでいます。どの地域も、人口減少問題を抱えるなか、個々の地勢や地域資源を活かした計画を策定し定住を呼びかけているのが特徴です。
津波で家屋の9割が被災した女川町は、山を切り取って高台に宅地を整備し、造成で出た約700万㎥の土を平地に盛って新たな市街地をつくっています。嵩上げした国道が防潮堤の役割を担い、中心部には役場や学校、病院、商店、観光施設などが集約。宅地をほぼ2キロ圏内の高台に分散配置することで、景観と安全、生活の利便性を確保しています。ことし3月には女川駅と女川温泉「ゆぽっぽ」の営業開始を機に、「まちびらき」を行ないました。
「まち」の様子がたびたび報道されることもあり、女川町は復興が早いと見られています。しかし復興の指標の一つである災害公営住宅完了戸数は「4年半、一生懸命取り組み続けてきてもまだ3割程度」と、我妻賢一さん(女川町復興推進課課長)は焦燥感をにじませます。山の掘削、土の運搬、盛土と一連の造成作業に時間がかかるためですが、宅地の完成を待ちきれず「まち」を出ていく住民もいます。震災前は1万人強だった人口は現在約7,000人にまで減少しました。
高台移転や利便性の高い市街地づくりは住民に「希望を持っていただくためのもの」ですが、時間の壁が立ちはだかります。
さらに「街並みだけでは定住してもらえない。そこに心がないと…」と我妻さんは言います。そこで、住民のなかから“まちの心をつくる”様々なリーダーが育っていくよう、女川町は「まち活」プロジェクトに取り組んでいます。また高台の住宅地では早い段階から「まちづくり」参加の機会を設け、コミュニティ形成を図っています。
「女川は面白いまちになると興味を持ってもらい、住民同士の絆が深まれば、人口流出にも少しは歯止めがきくのでは」と我妻さんは期待を口にします。
「まちづくり」も「人づくり」も緒に就いたばかり。被災市町は時間の壁と向き合いながらこれからも厳しい道を歩いていかなければなりません。
被災地のいま242015-10-12
疲弊する被災者の転居を支援
宮城県内では、みなし仮設住宅、プレハブ仮設住宅、その他の仮設住宅合わせて24,829世帯が仮設住宅に入居していますが、その方々が仮設住宅を出なければならない日(退去日)が近づいています。早い市町では今年から来年にかけて、それぞれの契約満了日までに転居していかなければなりません。
しかし中には転居の見通しが立たない被災者もいます。引越し費用や家賃を払えない、税金を滞納していたため公営住宅への入居資格がない、アパートの保証人になってくれる近親者がいないなど、理由は様々ですが、その多くは低所得者・高齢者などの社会的弱者で震災前からあった破たんの芽がたまたま震災で顕在化したと見られています。
宮城県は「宮城県被災者転居支援センター」を開設し、支援の手が届きにくいみなし仮設住宅(約1万世帯)入居者を中心に転居困難者支援の取り組みを開始しました。県の委託を受けた一般社団法人パーソナルサポートセンターが被災者を訪問し、「引っ越し費用が無い」「みなし仮設にこのまま住みたいが家賃が心配」などの相談を受けながら、新しい生活を築く方法を一緒に考えています。
宮城県被災者転居支援センター長の高木秀明さんは、これまで仮設住宅の見守り活動などを続けてきた経験から「難しい支援事例が多いのではないか」と懸念します。
実際、転居困難者と話をすると、多額の負債や家族間のあつれきなどの問題が判明することがあります。再建をあきらめた被災者や転居費用以前に生活費がない生活困窮の被災者もいます。生活に疲れ、新しい人生を開く気力さえ無いのかも知れません。それでもセンターでは、被災者本人や近親者の協力も求めながら、あらゆる解決の道を探ります。
「転居を促す立場なので歓迎されないこともありますが、仮設住宅からの“追い出し屋”になるつもりはありません」。センターの使命は転居の見通しが立たないほど疲弊している被災者の生活再建を、伴走型で支えていくこと。「転居困難者がどれぐらい出るかは退去時期が迫らないと正確には分かりませんが、どんな事例にも対応できるように態勢を整えておきたい」と話してくれました。
※世帯数は2015年7月31日現在のデータ(宮城県)
被災地のいま232015-08-20
あれだけの災害、子どもの心に影響がないわけがない
沿岸部の子どもたちは、4年前と比べると大分落ち着きを取り戻しています。しかしそれは表面上のことで、心の問題が無くなったわけではありません。むしろ時間が経つにつれて今まで潜在化していたことが顕在化し複雑化していくため、長期的に見守っていく必要があると言われています。
宮城県子ども総合センター心のケア推進班は、震災で傷ついた子どもの心のケアに適切に対応できるよう、沿岸部の教員や保育士等支援者への支援を行っています。
次長(班長)の佐藤尚美さんは、「津波の避難訓練一つとっても学校では子どもや保護者への配慮の仕方などで葛藤が生じますが、児童精神科医や心理士が助言を行うことで先生方も安心して子どもに向き合える」と教育現場への支援の必要性について話します。
また教員は、不登校や集中力の欠如など表に出てくる問題が震災の影響によるものか、発達や生育環境などに起因するものか、判別が難しい状況にも直面します。
「子どもたちの問題行動については、多くの先生が“震災の影響かどうかは分からないが”と慎重に発言する」と佐藤さん。予断を持たずに子どもを見ようと努力する先生方の姿が浮かびます。沿岸部の教員や保育士は、そうした複雑な環境のもとで子どものサインに気付く見守りの眼を養っていかなければなりません。
いまも仮設住宅で不自由な暮らしをしている、経済的に余裕がない、家並みが消えた街を見ながらスクールバスで通学する、そんな子どもたちが被災地にはまだ大勢います。安定した生活を薬に心の回復を遂げた子どもがいる一方で、力尽きそうになっている子どももいます。ダメージが蓄積している恐れがあります。
「あれだけの災害だったのだから、影響がないわけがない」という考えを前提に、佐藤さんたち心のケア推進班は教員等支援者と考えを共有し、学校などへの訪問相談を通じて子どもの心のケアの取り組みを進めています。
被災地のいま222015-07-06
震災孤児・遺児を支える眼と手
宮城県では震災で1,087人もの子どもが親を亡くしました。両親をなくした「孤児」は136人、父または母をなくした「遺児」は951人。多くの子どもたちが将来も続いたであろう親の庇護を失ったことになります。
宮城県は震災直後から避難所を訪問して保護を要する子どもたちの実態把握を行い、2014年(平成24年)3月から全国・全世界からの寄付金をもとに「東日本大震災みやぎこども育英基金支援金・奨学金」制度を立ち上げ、未就学児から大学生まで希望のあった1,048人に対し、金銭的支援を始めました。孤児のうち134人は祖父母や叔父・叔母などのもとに身を寄せ、2人が児童福祉施設に入所しました。また、里親制度を利用している親族には上記の支援金・奨学金のほかに国から生活費や教育費の支給があります。また孤児・遺児ともに民間の奨学金も併用できるので、経済的なバックアップの用意はある程度整っていると言えそうです。里親家庭には児童相談所員が定期訪問し、子どもの様子を聞いたり、接し方などについてアドバイスを行なっているほか、心のケアにも子ども総合センターやスクールカウンセラーなどさまざまな機関と連携して取り組んでいます。
しかし、そうした子どもを見守る方々は、保護者の精神の不安定が子どもに投影されている、幼児だった子が4年経って体験を喋るようになりPTSDを発症するかも知れないなどの懸念を持っています。20年前の阪神・淡路大震災の際も、これらの問題は4年目にピークを迎えた、という状況があるからです。問題はそれだけではありません。宮城県保健福祉部子育て支援課の吉岡弘さんは「保護者は高齢の方が多いので、いつまで養育できるか」と心配を口にします。さらに懸念しているのが虐待の増加です。県は強い危機感を持って防止に取り組んでおり、「児童相談所全国共通ダイヤル“189(いちはやく)”を周知し、連絡を受けたらすぐに動ける体制づくりを進める」と話します。
2011年3月11日午後2時46分を境に人生が大きく変わってしまった孤児・遺児を見守り、支える取り組みが、懸命に続けられています。
※人数等はすべて2015年3月31日現在のデータ(宮城県)
被災地のいま212015-06-12
声なき在宅被災者の苦しみ
床も天井もぼろぼろ、畳は腐り、壁の隙間から風が吹き込む—。4年を経たいまも、津波で壊れた家に我慢して住み続ける人たちがいます。「在宅被災者」と呼ばれていますが、復興庁発表の「避難者」にはカウントされず、生活実態もほとんど知られていません。
在宅被災者の支援団体「チーム王冠」の代表・伊藤健哉さんは、石巻エリアだけで約12,000世帯の在宅被災者がいると推定しています。 避難所に入れなかった、応急仮設住宅で体調を崩して自宅に戻ったなど在宅を選ばざるを得なかった理由は百人百様ですが、共通しているのは応急仮設住宅で避難生活をしている方に比べ、支援がきわめて薄いことです。
「お金はない。食料や生活物資の提供もない。家財道具は津波で持っていかれた。義援金が入るのは半年後。生活が苦しい上に、52万円の応急修理制度では水回りを直すだけで精いっぱいです」チーム王冠が昨年石巻エリアで「家屋修繕状況調査」を実施したところ〝経済的理由で修理ができずにいる〟あるいは〝必要最低限の修理だけであきらめている〟現状が明らかになりました。自治体等の支援制度を合わせれば約250万円(※)まで利用できるのですが、大規模半壊や全壊の家を修繕するには約1,000万円必要と言われており、経済的に余裕のない世帯や年金生活の高齢者にとっては到底無理な話でした。
2014年、災害対策基本法が改正され、在宅被災者支援が盛り込まれました。しかしそれは今後の災害に向けてのもの。「東日本大震災の在宅被災者は、町内会も無くなり、高齢化も進んで心身の不安も抱えているのに、いまだに放置されたままなんです」。伊藤さんは「このままだと東日本大震災の在宅被災者は無かったことにされてしまうのではないか」と不安を抱いています。
「在宅被災者の問題を何とかしないといけないという声が全国からあがれば、国も動かざるを得ません」。そのためにも壊れた家に住み続けている人たちがいることを忘れないでほしい。その生活の大変さを理解してほしい、そう伊藤さんは訴えます。
※被災者支援法による加算支援金、住宅再建支援事業など(自治体によって違いあり)。
写真提供:東日本大震災一般社団法人チーム王冠 http://team-ohkan.net/