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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

119件中 11~15件目(3ページ目)を表示しています。

2020-01-06 被災地はいま72
2019-10-07 被災地はいま71
2019-09-19 熊本震災支援活動報告⑬
2019-09-09 被災地はいま70
2019-08-05 被災地はいま69

被災地はいま722020-01-06

地域課題を解決できる自治組織をつくる

宮城県亘理郡山元復興ステーション
山元町は町域の約4割が津波で浸水しました。被災した住民の多くは、内陸に移転したJR常磐線が通るつばめの杜地区などの新市街地に集団移転し、新たなコミュニティを形成しました。沿岸部に残って暮らすことを選んだ住民たちも、地域コミュニティの再構築に向けて歩み始めました。

山元復興ステーションは、山元町の委託を受けたNPO法人神戸まちづくり研究所が運営する団体です。2012年11月の発足以来、住民に寄り添いながらコミュニティづくりの支援を続けています。
「当初は逆風のなかでの活動でした」とステーションを率いる橋本大樹さんは言います。
行政とのコーディネーターとして参加した会議では“どうせ行政の代弁者だろう”と不信感を持たれ、不平や不満を聞くことから始めました。
信頼に変わってきたのは、ステーションの支援で住民自身が地域内の課題に取り組み、“自分たちもやればできる”という成功体験を積むようになってからです。
集団移転地に自治会ができた時、橋本さんは住民に「将来的には皆さんが自分たちで地域の問題・課題を解決できるようにならなければならない」と伝えました。
一つは人口減少が急激に進んだため。もう一つは、住民と行政の“協働”でまちづくりを進めてほしいとの思いがあったからです。
沿岸部の中浜地区は震災を境に世帯数が315世帯から26世帯に減りました。笠野地区も磯地区も世帯数は震災前より激減しました。
人口が減れば当然行政の職員も減ります。「すると、例えば草刈など今まで行政が担っていたことを地域が行なう時代になる。そうなった時に受け入れ態勢ができている自治会とそうでない自治会では、苦労の程度に差が出ます」。

少ない住民で地域をどう維持していくか…。「何から何まで行政に要望するのではなく、普段から、この課題は行政に任せる、この事業は行政と一緒に実施する、これは自分たちが担うという分別をしておくことが大切です」。
橋本さんは「協働とは、住民と行政が対等な立場で意見を言い合えること」と言います。住民が自分たちで地域の課題を解決しようとする気運も、そうした関係のなかから生まれるのでしょう。
震災から8年半。コミュニティ再生はこれからが正念場です。



被災地はいま712019-10-07

「自分たちの町のために何かしなきゃ」集う機会がもたらした地域力

宮城県南三陸町社会福祉協議会「結の里」
南三陸町「結(ゆい)の里」は、震災後、ボランティアの活動拠点となったベイサイドアリーナの向かいにあります。木造平屋の建物にデイサービス施設と地域交流スペースがあり、隣の災害公営住宅とはウッドデッキでつながっています。地域の人たちが一緒に昼食をつくったり、赤ちゃんを連れたお母さんたちが集まってお喋りしたり、介護サービスの拠点であると同時に、すべての世代が気軽に集うことのできる場所になっています。

結の里の特徴は、この“集う機会”が地域住民と社会福祉協議会(以下社協)のコラボレーションで幾通りも用意されていることです。
「この場所で何をしていくか。2018年4月の開所までの1年間、話し合いを重ねました。住民は、実行委員として施設運営に関わります。自分たちも運営を担う一人であることが分かるにつれて、色々なアイディアを提案してくるようになりました」と、髙橋吏佳さん(南三陸町社会福祉協議会結の里管理責任)は振り返ります。“行政や社協がやってくれる”のではなく、“自分たちはこうしたい、だから社協さん手伝って”と意識が変わってきたのだそうです。
そうして生まれたのが、月1回、みんなで料理をつくって一緒に食べる「みんな食堂」や住民がボランティアで運営する「えんがわカフェ」、映画鑑賞会や「走らないミニ運動会」などのイベントです。

2019年7月で開所から1年3ヶ月、“集う機会”はたくさんの笑顔をもたらすとともに、“地域力”を高めたと髙橋さんは言います。「例えばみんな食堂に来られない人のために宅配はどうだろうという意見が出たり、ワークショップや研修では思ったことをどんどん発言したり。自分たちの町のために何かしなきゃという思いが強くなりました」。
イベントを主催するのはそれぞれ実行委員のグループです。社協は予算の管理を手伝ったり、他の団体から申し込まれたイベントとの調整を図ったりします。
「住民も役割を持ち、楽しみながらやってほしい。震災から、みんなで家族のようにして生きてきたんだから、これからも楽しんでやっていこう」。常々そう話しているという髙橋さん。「だから結の里の事務所も、社協のオフィスというより住民の茶の間という感じ」と和やかに笑います。



熊本震災支援活動報告⑬2019-09-19

2019年9月17日(火)、仮設住宅で暮らす方々への支援として、益城町赤井仮設住宅で生協くまもとが月一回開催されている「こーぷ喫茶」に合わせ、炊き出し支援およびサロン活動を開催しました。
ララコープ役職員13名が参加し、皿うどん60食を炊き出し、食後のデザートとしてカステラ巻きをお配りしました。

炊き出し活動終了後、甚大な被害を受けた南阿蘇の被災地視察を行いましたが、24時間体制で復旧工事を行っているにも関わらず、まだまだ復旧の目途が立っていない場所が多く見られました。
特徴的な事として、支柱が折れながらも益城町最大の避難所となっていた、総合体育館は再建を行っていました。また、益城町の建設型仮設住宅団地17ケ所について、来年6月から仮設住宅を1カ所(木山仮設)に集約する方向で最終調整しているとの事でした。

熊本地震発災から3年が経過し、未だに多くの方が仮設住宅での生活を余儀なくされています。
2019年9月16日現在、熊本県内での応急仮設等の入居者は3,521戸 8,033人と、減少してきているものの、未だ多くの方々が仮設等での生活を続けておられ、ララコープとしても被災地に寄り添った活動を継続していきたいと感じました。



被災地はいま702019-09-09

ついの住処、仮の住まい。どの被災者にも地域で安心して生活できる環境を。

福島県南相馬市社会福祉協議会
「様子を伺いに訪問したら、“10日ぶりに人と喋った”という方がいました」。
黒木洋子さん(南相馬市社会福祉協議会生活支援相談室長)は、孤立しがちな被災者の現状について、そう語ります。
「南相馬市内の復興公営住宅はどこもまだ自治会がありません。住民同士の自発的なコミュニティ形成もなかなか進まなくて…」。
県営の復興公営住宅には、原発事故で南相馬市に避難してきた浪江町や双葉町など他町村の人たちが多く入居しています。
故郷のほとんどが居住制限区域や帰還困難区域になっていることから、南相馬市をついの住処と決めて家を建てた人がいる一方で、「ここは仮の住まい。いつかは故郷に戻る」と思っている人もいます。

避難して8年が経ちますが、暮らしはまだ流動的で、新たなコミュニティをつくる雰囲気も環境も整ってないのが現実です。
「自治会がないと困るのは被災者です。避難先で話し相手がなく孤立する。どこに誰が住んでいるか把握できず、ニーズが埋もれてしまう。私たちの被災者支援活動も復興が進むにつれて形を変えていきます。“住民だけでは何もできない”とならないよう、自治会立ち上げを支援し、様々なイベントを通して、コミュニティを育んでいきたい」。
被災者が地域で安心して生活できるように支援するのが、黒木さんたち生活相談支援室の仕事です。
「世帯分離や地域分断から来る寂しさ、外出機会の減少、高齢者の身体機能の低下。支えなければならないことがたくさんあります」。
なかでも黒木さんたちが今、気になっているのが、生活困窮に陥りそうな人たちの存在です。
「50代、60代のちょうど働き盛りの方々。勤務先が原発事故で移転・撤退し、失業。新たな職を得ても頭と体が追い付かず、心が折れてまた働き口を失う。賠償金も底を突く。免除されていた家賃や税金も払うようになる。そうなったらどうやって生活していくのか。注意して見守っていかなければと思っています」。
「原発事故が課題を深く複雑なものにしている」と黒木さん。そうした背景を踏まえながら「地域ごとの課題をどう解決していくかが、私たちの次の課題」と、前向きな笑顔を見せます。



被災地はいま692019-08-05

「多様なチャンネルを活用して、居場所を見つけられる街に」

宮城県東松島市野蒜(のびる)まちづくり協議会
野蒜(のびる)駅の改札を出ると、広場の向こうに野蒜ケ丘の新しい街並みが広がっています。
津波で甚大な被害をうけた東松島市野蒜地区では、多くの世帯が近くの山林を開いて造った高台へ集団移転しました。2017年10月にはまちびらきが行なわれています。

野蒜まちづくり協議会(以下まち協)は、住民参加のまちづくりを目指し、野蒜ケ丘の3自治会や東名・大塚など旧市街地の5自治会と協力しながら、様々な事業に取り組んでいます。
移転にあたって課題になったのがコミュニティ形成でした。まち協会長の菅原節郎さんは、「野蒜ケ丘は震災前のコミュニティを活かす形で移転したことや何度も話し合いを重ねたことで、“この街でこの人たちと暮らしていくんだ”という気持ちが醸成された。移転後も自治会ごとにイベントを開催し、それがコミュニティの活性化に役立っている」と話します。
最近は野蒜ケ丘の分譲地を買って移り住む若い世帯も増えてきました。一方、災害公営住宅や旧市街地を中心に高齢化も進んでいます。
まち協副会長の山縣嘉恵さんは「自治会のイベントに参加できない人もいる。そうした人々を含め、住民の地域での居場所づくりがまち協の役目になる」と言います。
同じくまち協副会長の佐賀剛さんも「地域全体のあり方を考え、若い世代が住みやすい街づくりや人材育成が大切になってくる」とこれからを見すえます。
まち協では、昨年度開催した地域づくり勉強会や若い母親のためのママカフェを、今後も行う予定です。
「ママカフェは市民センターの交流スペースを活用し、お母さんたちが子どもを遊ばせながらお茶を飲んだり、保健師さんや保育士さんに子育てについて相談したりする場」と山縣さん。地域づくり勉強会も「野蒜の街を知り、地域を担っていく人材を育てていくためのもの。今後も外部から講師を呼ぶなどして学ぶ機会をつくりたい」(佐賀さん)と積極的です。

菅原さんは「すべての住民が自分の役割や出番があるような街にしたい」との思いを抱いています。「そのためには人と人のつながりが数多くあった方がいい。自治会ごとの交流だけでなく、ママカフェや勉強会、趣味のグループなど様々なチャンネルを活用して、自分の居場所を見つけてほしい」。
もともと住民同士の付き合いが活発だった野蒜地区には、コミュニティの芯となる助け合いの習慣が今も根付いています。
まち協の住民参加のまちづくりは、そうした故郷の財産を活かしながら、今後も進められていきます。