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2017-03-21 | 被災地のいま40 |
2017-02-24 | 被災地のいま39 |
2017-02-23 | 被災地のいま38 |
2017-02-22 | 被災地のいま37 |
2017-02-21 | 被災地のいま36 |
被災地のいま402017-03-21
震災から立ち上がる力を、子どもが自ら培う場
「子どもなのに“震災だから”とじっと我慢していた。みんな“いい子”なのが逆に心配」。あるお母さんの言葉です。狭くて十分な勉強場所がない仮設住宅、自由に部活ができない校庭、下校時間が決まっているスクールバス通学など、子どもたちは様々なストレスを抱えながら、この6年を過ごしてきました。
宮城県女川町にあるコラボ・スクール「女川向学館(以下向学館)」は、認定NPO法人カタリバが「子どもたちに震災のせいで夢をあきらめてほしくない」との思いから、地域の協力を得て始めた放課後学校です。下校後、子どもたちが落ち着いて勉強ができる「学びの場」と安心して集まれる「居場所」を提供しようと、2011年7月に開校しました。
向学館の多田有沙さんは「女川は小学校も中学校も一つしかない小さな町。学校の成績が悪いだけで“自分は勉強ができない”と思い込んでしまう子が多い」と言います。向学館は、対話を重視したプログラムで、そうした子どもたちのヤル気と自己肯定感を引き出し、“自分も頑張れる”と自信を持って勉強に取り組めるよう指導しています。しかしなかには“頑張れない子ども”もいます。「違いは夢や目標を持っているかどうかです」と多田さん。将来自分は何になるのか、学んだことを将来どう活かすのかー。向学館では、子どもたち自身が自分と将来について考えるキャリア教育にも取り組んでいます。
子どもたちは向学館で勉強するだけでなく友だちとお喋りにも興じます。スタッフに悩み事を話すこともあります。まさに子どもたちが安心して集まれる「居場所」がそこにはあるのです。
震災は子どもたちから多くのものを奪いました。それでも子どもたちはたくさんの人の支援に背中を押され、自分の道を拓いてきました。
向学館はいま、自発的に勉強や調べものができる部屋を設けようと準備しています。「本やパソコンを使って自ら興味関心の幅を広げる、そんな居場所を自分たちの手でつくっていってほしい」と多田さんは期待を寄せます。子どもたちがこの場所で、震災の悲しみを強さに変える力を培っていけたらとの願いも込められています。
被災地では多くの大人が添え木となって子どもたちを支えていくことが、これからも求められています。
被災地のいま392017-02-24
心と福祉と教育の専門家が学校を外側からサポート
震災で環境が大きく変わった子どもたちに、もうじき6度目の春が来ます。被災地では復興公営住宅の建設が進み、まちづくりも盛んです。しかしそれはあくまで“復興途上”の風景です。
「宮城県内にはいまなお仮設住宅から通学する児童生徒が約1,700人、学校が遠くなったためスクールバスで通学している子が約2,400人います」。宮城県教育庁の高橋義孝さんは、復興途上のまちで暮らす子どもたちの厳しい状況について、そう説明します。
今年、県内の小学5年生と中学2年生を対象に行った調査では「震災を思い出して気持ちが落ち着かなくなる」と回答した児童生徒が小学5年生で約2割、中学2年生で約1割いました。
宮城県は震災発生直後から児童生徒の心のケアに取り組んでいます。今年4月には「心のケア・いじめ・不登校対策支援チーム」が発足。その訪問・相談チームとして東部教育事務所内に「児童生徒の心のサポート班」(以下サポート班)が設置されました。
サポート班は、カウンセリングなどを担う「心理士」、福祉の視点で向き合う「スクールソーシャルワーカー」、教育の専門家として学校を支援する「指導主事」の3職種で構成されています。沿岸14市町を重点的に、学校訪問や電話・来所相談などを通じ、専門性を活かしたさまざまな取組で学校を外側から支援していきます。
活動開始からまだ1年経っていませんが、サポート班指導主事の浅野芳博さんは「学校を巡回するなかでいろいろ相談を受けたり、“不登校の子どもについて3職種で対応を見立ててほしい”と要望されたりする機会が増えた」と話します。
子どもたちはひとり一人異なる事情を抱えています。最近ようやく被災体験を言葉にできるようになった子もいれば、突然フラッシュバックを起こして体調を崩す子もいます。「我々のサポートで、悩みを抱えた子どもや保護者、先生たちの気持ちが少しでも楽になれば」と浅野さん。
子どもたちが安心と希望を持って学ぶ環境をつくるため、サポート班による心のケアの取組は続きます。
被災地のいま382017-02-23
地道な測定と情報提供で風評被害を乗り越える
「山菜などが100Bq/kg(※)を超えれば、それは農家にとって実害。しかし100Bq/kgを超えない農産物まで不安視される、いわゆる風評被害には、実害以上に頭を悩ませました」。
丸森町で農産物直売所を営む八島哲郎さんは原発事故で受けた様々な影響をふり返り、そう話します。
丸森町は山菜、果樹など四季の農産物に恵まれた宮城県南のまちです。東京電力福島第一原発の事故による放射性物質飛散の影響で露地原木栽培のシイタケなどが出荷停止となり、町内の農産物直売所は大きなダメージを受けました。
丸森町は、事故後早くに食品放射能測定システムを導入し検査体制を整えました。農林課の引地誠さんは「市場に出す農産物は生協さんはじめ出荷先の理解が深かったので、風評被害の影響は比較的少なかった。しかし観光客を相手に商いをする農産物直売所は、風評による観光客の減少で売上減少や廃業などの打撃を受けた」と言います。
2012年5月のタケノコ出荷制限指示により、その年のタケノコはすべて廃棄することになりました。以来経験したことの無い、大切に育てたタケノコを掘って捨てる辛い作業をくり返しましたが、間伐など竹林の手入れはいつでも再出荷できるよう怠りませんでした。そして2014年に町内8地区の内耕野(こうや)地区、2015年に丸森地区・小斎(こさい)地区の出荷制限が解除になり、直売所にタケノコが並ぶようになったのです。「もう戻って来ないとあきらめていたお客さんから“良かったね、待ってたよ”と言われて本当に嬉しかった」(八島さん)。
生産者は解除後も消費者に対し安全安心なタケノコを提供するため、出荷販売する際は測定器で全数検査を実施し、65Bq/kg以下のみに検査済みラベルを貼付して出荷販売します。名産の干し柿も、100Bq/kgを超えたことはありませんが、風評を払しょくするため自主検査を実施し、安全性を確認してから出荷します。
「現在も、数値ではなく漠然とした風評で捉える人がいる。手間はかかるが地道に測定を続けて正しい情報を提供し、判断してもらうしかない」と八島さんは思っています。
町も、高圧洗浄機による果樹木の除染や丸森の物産PRイベントなどを通じて農家を支援してきました。直売所には徐々に観光客が戻ってきています。「丸森の農産物をおいしい、そして安全と思っていただけるお客さまとつながっていきたい」。そんな生産者の思いが、丸森の農産物直売所の賑わいを支えています。
※ 食品中の放射性物質の基準値(2012年4月1日設定)
被災地のいま372017-02-22
新商店街にまちの盛衰がかかっている
「新商店街にまちの盛衰がかかっている。絶対成功させなければならない」。(株)南三陸まちづくり未来の三浦洋昭さんはそう決意を口にします。
「新商店街にまちの盛衰がかかっている。絶対成功させなければならない」。(株)南三陸まちづくり未来の三浦洋昭さんはそう決意を口にします。
2017年春、南三陸町のかさ上げした市街地に「南三陸さんさん商店街」(志津川)と「伊里前復幸商店街」(歌津)、二つの商業地がオープンします。どちらも南三陸まちづくり未来が管理するテナント型施設で、まちの賑わい回復の拠点として期待されています。
震災で市街地を失った南三陸町の商業者はいち早く福興市や仮設の商店街を立ち上げ、地元の復興に大きな役割を果たしてきました。
「キラキラ丼」による地元海産物の販売、買い物に訪れる地域住民の交流の場づくり、全国への情報発信。また商店街がボランティアの活動拠点となったことで、南三陸町へIターンする若い人も増えました。
5年間の仮設店舗で得た経験や人とのつながりは、新しい商店街にも引き継がれます。
「多くの人が訪れて復興を支援し、再び観光に来てくれる流れができました。商店街も行政や観光協会、地元産業団体、旅行事業者と連携し、リピーターを確保していきます」。
さんさん商店街には28店舗、伊里前復幸商店街には8店舗が出店し、周囲の商業地や交流施設とともに一体感を持った観光・商業エリアを形成していく予定です。今年10月末には三陸道が志津川インターチェンジまで延び、仙台との距離が短縮します。一帯を道の駅として整備し、野菜や海産物の産直施設を設ける計画もあります。
飲食店や菓子店、理美容店、野菜市など“日常と非日常”が混在する商店街は、地域住民と観光客、まちと外部をつなぐ窓口になることでしょう。
新商店街が発足しても、復興工事関係者の撤退など、明るい材料ばかりではありません。三浦さんも「商店主さんたちは不安でいっぱいのはず」と言います。しかしいまは前に進むしかありません。「商店街の本来の魅力にさらに磨きをかけ、地域にも全国のお客さまにもどんどん情報を発信していきます」。
地域再生のシンボルである新商店街を成功に導くため、商業者たちの奮闘が続きます。
被災地のいま362017-02-21
在宅被災者ひとり一人の復興が果たされるまで
21号で、壊れたままの家に我慢して住み続ける「在宅被災者」についてお伝えしました。それから1年。状況はほとんど変わっていません。
21号で、壊れたままの家に我慢して住み続ける「在宅被災者」についてお伝えしました。それから1年。状況はほとんど変わっていません。
Kさん(石巻市)の家は雨漏りがひどく、使える部屋は2部屋だけ。「家族3人分の布団を敷けないから5年間布団に寝てない」と驚くことをサラリと告げます。
在宅被災者が利用できる支援制度は複数あります。しかし内容や手続きの分かりにくさが壁となって利用は進んでいません。
「とくに高齢者は、制度の複雑さに戸惑ったり、市に相談して“申請は難しい”と言われたりするとそこで気力を無くしてしまう」と、在宅被災者の支援を続けている一般社団法人チーム王冠の伊藤健哉さんは言います。
在宅被災世帯を支援するNPO法人のチーム王冠は昨年11月から仙台弁護士会とともに在宅被災者の実態調査を始めました。「弁護士さんが“これはただ事じゃない”と気づいてくれた。問題を整理し、法律上の課題や必要な手立てを次々に明らかにしていってくれました」。
これまでに約200世帯を調査し、再建をあきらめていた在宅被災者に災害援護資金で家屋修繕の道を開くなど、他のケースにも適用可能な解決策を見出しています。
9月からは石巻市と仙台弁護士会が連携して在宅被災者の実情を把握する取り組みがスタート。チーム王冠も仙台弁護士会との連携で課題解決を目指します。
在宅被災世帯は1万2千世帯いると言われています。自力再建が可能な人もいますが、あと一息の人やどん底から抜け出せないでいる人はまだ多くいます。「実態把握のスピードをあげないと、どんどん高齢化が進み解決が遅れる。ボロボロの家で“震災さえ無ければ”と無念の思いを抱いたまま老いていくのを見るのは忍びない」。伊藤さんはそう訴えます。
在宅被災者の抱えている問題はそれぞれ異なりますが1日も早い復興を待ち望む気持ちは同じです。足を運んで話を聞き、適切な支援を行なう、ひとり一人の実態に寄り添った活動がこれからも続きます。