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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

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2016-04-08 被災地のいま30
2016-04-07 被災地のいま29
2016-04-06 被災地のいま28
2015-12-08 被災地のいま27
2015-11-18 被災地のいま26

被災地のいま302016-04-08

〜ひとの復興〜
福島から仙台へ、そしていま

仙台に避難して来て4年以上経つひと、最近避難してきた
ばかりのひと、月の半分は福島、半分は仙台で暮らすひと、夫の転勤で引越ししてきたひと。
 
「ふくしまママの会きびたん‘S」は、避難や転勤のため福島県から仙台市に転入してきた母子の集まりです。子育て支援団体の一般社団法人マザー・ウイングが、福島から来た母親たちの交流の場をつくろうと2012年5月から活動を始めました。
 
仙台に移住して2年目の女性は「放射線量については気持ちの問題だと思っていますが、夫と相談して子どものために引っ越しました。でも、避難者という意識は持っていません」と話します。また避難生活が5年に及ぶと言う女性は「長女を出産後落ち込んでいた気持ちが、『きびたん‘S』に参加するようになって“この子をちゃんと育てていこう”と前向きなれた」と出会いに感謝します。
 
マザー・ウイングはそんな母親たちの気持ちにずっと寄り添ってきました。「皆さんそれぞれ地域のコミュニティに溶け込んでいますが、福島から避難して来たことを進んで話すわけではありません。その点、ここに来れば避難生活のことをオープンに話せるし、一人じゃないことが分かって安心できるんだと思います」とスタッフの土田千鶴子さんは言います。
 
今年の3月11日で震災発生から5年になります。親戚から“もう戻ってきたら”と言われて悩んだり、自宅を再建して福島に戻る知人を見て“私はまだ何も決まっていない”と焦ったりする母親が増えるのではないかと、土田さんは心配しながら見守っています。
 
「きびたん‘S」に参加するお母さんは「前向きに頑張っているけれど問題が解決したわけではない。個人でできることには限りがある。支援を続けてほしい」と話していました。
 
福島から全国への県外避難者は43,270人(※)。これからも、福島で被災した人たちの気持ちを尊重した取り組みが必要です。
 
※「福島県から県外への避難状況」平成28年2月1日更新(福島県)




被災地のいま292016-04-07

〜地域再生に向けて5〜
コミュニティ、今とこれから
 
「戸建住宅は庭に出れば隣人の顔が見える。会話が生まれ自然と交流に発展する。ところが集合住宅ではその機会が無く、ストレスを抱えている人が多い」。そう話すのは名取市美田園北(みたぞのきた)自治会会長の高橋学さんです。

防災集団移転と災害公営住宅の入居が進む被災地。美田園北もその一つです。被災した下増田や閖上の住民162世帯が移転し、昨年秋に「まちびらき」を行ないました。
 
高橋さんは「これまで何度もコミュニティが壊れてきた。被災したとき、避難所から仮設に移ったとき、仮設からいまの住まいに移ったとき。ここで、また一からコミュニティを築いていかなければならない」と話します。しかし美田園北地区の集会所ができるのは今年の夏ごろの予定。「それまで手をこまねいているわけにはいかない」と集合住宅のエントランスホールで小規模の集いを開きました。「普段部屋に閉じこもっている人たちも集まっていろいろ悩みを話してくれた。気持ちを吐き出すことで少しはラクになる。その手伝いができればいい」
 
名取交流センターは、地域の共助として震災直後の5日後から被災者支援に取り組み始めました。下増田・閖上地区で被災した人たちが美田園北に移転後も、毎週交流お茶会「いぐすぺ」を継続開催し、コミュニティづくりを支えています。
 
「地域の方々が適度な距離感で支えあえるよう、外部から潤滑油として関わっています」と若山陽子さん(名取交流センター事務局)。自治会の高橋会長はじめ住民からは「名取交流センターさんなら」と信頼もされています。
 
しかし震災からもうじき5年、「私たちがフェードアウトできる日がくることを目標に希望を聞きながら寄り添う」(若山さん)、「コミュニティ構築のために集会所を自治会でどう活用していくか、考えていかなければならない」(高橋さん)と、それぞれ次のステップ
目を向けています。
 
コミュニティ再構築は被災地に共通する課題です。みやぎ生協でも震災後、「ふれあい喫茶」などのサロン活動を各地で継続してきましたが、新たな住まいの場でのコミュニテイ構築への支援のありかたを模索しています。

自治会、行政、伴走するボランティア、そして生協
などが連携しあい、あらたな住民にとって良い方法を見出していくことが求められています。




被災地のいま282016-04-06

〜地域再生に向けて4〜
貸与期限終了を前に再建の道を探す仮設商店街 
 
2016年、多くの仮設商店街の貸与期限が終了します。商店主の方々は、期限前に退去後の再建計画や移転などを決めなければならず、厳しい判断を迫られています。

気仙沼市ではまず「気仙沼復興商店街南町紫市場」が再建計画の手を挙げました。他の仮設商店街にも声をかけ「気仙沼内湾商店街振興組合」を結成して国のループ化補助金を申請。内湾地区の魚町と南町にしい商店街をつくることになったのです。どちらも災害営住宅と一体型の共同店舗の周辺に個別店舗が集積する計画で遅くても本年冬の竣工を目指しています。

共同店舗構想は形になるまでかなり難航しました。内装・設備などの開店費用や建設費の3/4はグループ化補助金でまかなえるのですが、それでも負担が大きいのが実情です。
 
坂本正人さん(南町紫市場副理事長)は「長期のローンを抱えるのが不安で、いまも次のステップに踏み出せないでいる人が多い」と話します。
 
気仙沼市には県内最多の18カ所の仮設商店街があり160が事業を営んでいますが、移転先の工事が進んでいるのは内湾地区(32者)だけです。テナントに移転たくても、気仙沼にはいまほとんどテナントの空きがありません。貸与期限の延長を願い出るにしても、地主との交渉や場合によっては施設の買い取りが発生するなど厳しい局面に変わりはありません。
 
「今後どうするのか…」と坂本さんは市内の仮設商店街の行方を気にしながらも、内湾地区を商業者たちの希望にしたいと願い、新商店街づくりに精力的に取り組んでいます。
 
坂本さんは、最後にこう話してくれました。「南町紫市場ができた後、真っ暗だったこの地区に飲食店が戻ってきて地元客や観光客、漁船員で賑わうようになった。同じように新商店街にも多くの商業者が集まって人の流れが生まれれば、いい街ができると信じています」




被災地のいま272015-12-08

〜地域再生に向けて3〜
漁業者の経営安定のため販売強化に取組む
 
「復興の歩みは一律ではなく、浜(地域)や品目ごとに異なる」。宮城県漁業協同組合の丹野一雄会長と阿部誠理事は、現在の状況をそう話します。
 
魚市場の再建などで全体的に活気を取り戻しつつある一方、漁港工事や住宅再建の遅れが漁業者の志気に影を落としていること、ワカメや銀ザケの水揚げはほぼ震災前の水準に戻ったが、カキ・ノリ・ホタテは資金などの問題で回復が懸念されていること、生産者の減少で人手不足に直面している漁場もあるなど、震災から4年8ヶ月を経たいまも難題が山積しています。そうしたなかでも養殖施設や共同漁船などの整備は着実に進み、ほぼ完ぺきな状態で完了。事業継続に意欲を燃やす生産者の背中を押しました。
 
南三陸町志津川の生産者は震災後、密植を避けたカキ養殖に挑戦。養殖版“海のエコラベル”として知られる「ASC(水産養殖管理協議会)」の国際認証取得を目指しています。奮闘する生産者を支援するため、宮城県漁協はこれまで以上に販売強化に取り組んでいます。「従来の共同販売の仕組みを活かしながらも、宮城の“さかな”を積極的にPRし、外国も視野に販路を求めていきたい」と阿部さん。ネットを活用した電子商取引「おらほのカキ市場」、東京での冬季限定カキ小屋、香港やシンガポールでの三陸フェアなどPR・販路開拓の取り組みは多岐にわたります。海外との競合など今後も困難は予測されますが、丹野会長は「個々の経営安定が一番。そうすれば自ずと漁業に人は定着する」と強い信念を見せます。
 
水産業の復興は地域再生の要です。歯を食いしばって震災を乗り越えようとする漁業者と漁協の二人三脚はこれからも続きます。




被災地のいま262015-11-18

〜地域再生に向けて2〜
また来たい、また住みたい — 交流観光で南三陸町ファンを拡大
 
被災した沿岸部は食や海遊びの観光エリアでもあります。2014年の沿岸部の観光客は483万人で、まだ震災前の6割弱に留まり、以前の活力を取り戻すには至っていません。
 
南三陸町は震災前から教育旅行などの観光事業に取り組んできた経緯から、2014年観光復興推進計画(観光特区)の認定を受けました。観光特区のテーマは「南三陸町〜また来たい、また住みたい〜地域づくり」です。「また住みたい」のフレーズには、観光事業による地域経済の活性化・雇用の創出を通じて、町外へ避難した住民が“戻ってきたい”、若者が“定住したい”と思えるような魅力あるまちをつくっていこうという強い意志が込められています。実際、震災を機にまちへ移住してきたボランティアの若者や故郷のために働きたいと戻ってきた住民がいて、良い先例となっています。
 
「観光を通じて海、山、人が一体となった南三陸町の魅力を発信していきたい」と南三陸町産業振興課の菅原大樹さん。漁業体験、林業体験、民泊体験などまちの観光プログラムはすべて漁業者や農家をはじめ地元住民の手によるもの。「あの元気な漁師さんにまた会いたい、そう言って再訪してくれるような交流がこの町にはあります」。
 
震災後、南三陸町には延べ10万人ものボランティアが訪れました。まちではその「縁」を地域再生の活力につなげていくため、「南三陸応縁団」活動をスタート。ボランティアに来てくれた人たちに応縁団に参加してもらい、町民との交流を通じて南三陸町ファンを増やしていこうと考えています。「ボランティアに来てくださった方々の力がなければここまでくることはできなかった。そのご縁をずっとつないでいきたい」。
 
ボランティアで訪れたまちを今度は交流のために再訪する、そんな新しい観光のあり方が、被災した地域の復興を支える力になります。