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2016-11-08 | 被災地のいま34 |
2016-11-08 | 被災地のいま35 |
2016-10-24 | 被災地のいま33 |
2016-09-29 | 被災地はいま32 |
2016-09-28 | 被災地のいま31 |
被災地のいま342016-11-08
〜ひとの復興〜
被災した人たちとともに地域をつくり上げていく
ボランティア
被災地でのボランティアはいま過渡期にあります。
宮城県内の「災害ボランティアセンター」(各社会福祉協議会)は昨年すべて閉所し、それぞれ復興支援ボランティアセンターに役目を移行しました。NPO等も復興の進展に伴って地元への事業移譲を図ったり、活動の絞り込みや高度化に取り組んだりするなど、地域の実情に合わせながら次の段階へ進もうとしています。
NPO法人ガーネットみやぎは、「小さな復興」をキーワードに、農業者や食品加工業者など小規模事業者へのサポートを続けています。当初は、支援物資のマッチングがサポートの主流でしたが、徐々に販売支援へと軸足を移してきました。理事長の小笠原直美さんは、「皆さん5年間あきらめず新しいことにチャレンジしてきた方ばかり。“地域のために事業を続けよう”という覚悟を持っている。今年はそうした事業者の販売支援に力を注ぎたい」と話します。
小笠原さんが地元の同級生とともにボランティアを始めたのは発災直後の3月末です。被災地には他県から多くのボランティア団体が訪れていましたが、小笠原さんはその活動に感謝しつつも、「支援はいつか終わる。そのとき被災した人たちはどうするのだろう」と感じていました。そこで「被災者自身による復興」をモットーに掲げ、被災した人たちとともに地域をつくり上げていく活動を目指したのです。
イベントでの商品販売サポートや助成金の紹介、商品開発など、小規模事業者に寄り添う活動を続ける中で、次の課題も見えてきました。震災前から地域が抱えていた人口減少や高齢化の問題が加速したことです。「NPO法人として地域の様々な課題に対応できる組織体制をつくらなければならない」。そう小笠原さんは決意しています。
ボランティアの支えが必要な場面はまだまだあります。一方で被災した人びとの生活環境は確実に変化しています。地元に根付いたボランティアには、地域の課題を視野に入れた上での伴走が求められているのかもしれません。
被災地のいま352016-11-08
次の住まいを見つけられない…
思い悩む被災者をサポート
復興公営住宅は、自力での住宅再建が難しい被災者にとって次善の策です。しかし復興公営住宅に入居するには、1)全壊2)大規模半壊・半壊で解体済み3)復興事業に伴う移転などの要件を満たしていなければなりません。
例えば、震災前に住んでいたアパートが大規模半壊でも解体されず残っていたり、修繕が済んでいる場合は入居対象外となります。また敷地の問題などで家を失っても、り災判定が一部損壊であればやはり復興公営住宅には入れません。
“震災前と同じアパートに見なし仮設で住んでいるが仮設期間終了後の住まいを決めかねている”“プレハブ仮設から早く出たいが復興住宅には入れず手ごろな賃貸住宅も見つからない”。被災地には、そうした様々な事情で生活再建の見通しが立てられずにいる人たちが多くいます。
石巻市では、仮設住宅居住者6451世帯のうち1119世帯が「生活の再建方法が未決定」でした(※1)。石巻市福祉部生活再建支援課の今野善浩課長は、「“再建方法が決まってない1119世帯”の方々に今後どのように住まいを決めていただくか。大きな課題だと思っている」と話します。
市は今年の夏、未決定世帯に自立計画書を提出してもらい、「復興公営住宅の入居資格がない世帯」の実数を把握した上で、「市・県営住宅の活用」(り災判定に左右されず一定の収入条件以下で入居が可能)などの案を提示していこうと考えています。またプレハブ仮設住宅の集約を図る際、民間の賃貸住宅に転居する世帯(※2)を対象に「家賃の一部助成」にも取り組む予定です。
仮設住宅の供与期間終了まであと2年。市は「石巻市被災者自立再建促進プログラム」をもとに被災した人たちの個々の事情に寄り添いながら、住まい再建の道を一緒に探っていくことになります。
※1 平成28年5月1日現在
※2 前年度の月収が政令月収以下に該当する世帯
被災地のいま332016-10-24
〜ひとの復興〜
被災者であり支援者でもある
被災自治体職員の心のケア
災害で住民支援の「公助」を担うのは自治体の行政職員です。
東日本大震災でも、職員は自身が被災するなか住民の避難生活のために不眠不休で働きました。直後の混乱を乗り越えた後は復旧復興に伴う業務に忙殺される日々が続きました。
被災者でありながら支援者でもある行政職員の苛酷な状況は、心身の不調や自死のリスク増につながるとの指摘があります。
(社)宮城県精神保健福祉協会「みやぎ心のケアセンター」はこれを踏まえ、被災者への支援と同時に行政職員など“支援者への支援”を行なっています。
同協会気仙沼地域センターの片柳光昭さんは「多くの行政職員は少なからず被災をしているが、行政職としての役割を果たさなければならないという使命感も強く、そこで葛藤が生まれ、心身の不調に繋がることもある」と言います。支援者として住民の不安や苛立ちを正面から受け止めるのですが、そのことが継続することでストレスとなって蓄積されてしまう場合があります。地域住民のみならず行政職員の中でも、サバイバーズギルト(生き残った罪悪感)にとらわれて健康状態を悪化させる人、本音を吐けない人や最近になってようやく被災体験を話せるようになった人もいます。センターでは丁寧なケアを重ね、精神的な健康の回復に導いたり、休職していれば復職へとつないだりしています。
5年経ち、阪神・淡路大震災や新潟県中越大震災には無かった課題も見えてきました。「これほど復興が長期にわたる震災は今回が初めてです。震災後7年、8年と続くと予測される復興業務の過程で精神的な疲弊がどう進んでいくのか気になります」。また片柳さんは、今後入職する若い行政職員にも注意を向けています。「彼らは行政職として震災対応を経験していません。復興業務にあたったときどうストレスを感じていくのか、他自治体からの応援職員へのケアも含めてしっかりサポートしていかなければなりません」。
被災自治体の人手不足は復興のピークを迎えたいまも解消されず、行政職員には過重な負荷がかかっています。「支援者が健康でない限り十分な被災者支援はできない」という考えは阪神・淡路大震災の大切な教訓です。それは熊本地震でも同様でしょう。被災自治体職員の心のケアは被災地が「ひとの復興」を果たしていくための重要な課題なのです。
被災地はいま322016-09-29
〜ひとの復興③〜
「心配なのは次のステップが見えない人たち」
復興公営住宅の整備にともない仮設住宅の入居者は目に見えて減少しています。石巻市は入居率が3割を下回りそうな仮設団地から集約化の方針を立てました。しかし4月現在具体的な計画を住民に示すまでには至っていません。
「石巻市には133ヵ所の仮設団地がある。そこを集約するのは至難の技だが、住民が今後の身の振り方を考えられるよう、早く決めてほしい」。そう話すのは、仮設住宅と復興公営住宅のコミュニティづくりに取り組む一般社団法人石巻じちれん会長の増田敬さんです。
現在、市内の仮設団地入居世帯は3,951(※)。集約化を進めるため市は、様々な事情で復興公営住宅の申込みができない人や経済的に厳しく自立が難しい人たちを支援する仕組みをつくろうとしています。
石巻じちれん事務局長の内海徹さんは「復興公営住宅などの完成を待つ人たちは明日が見えているからまだいい。心配なのは経済的な理由で次のステップが見えない人たち」と言います。活動のなかで生活困窮者や健康に問題を抱えた住民に出会うことがあり、そうした場合は見守りを続けながら専門機関につなぐようにしています。
最初は生活再建めざして一生懸命に動いていても5年経つうちに意欲が薄れてしまい、仮設住宅を出ようという気力が無くなった。そんなケースも見かけるそうです。「狭い仮設住宅では趣味を楽しむ余裕もなく、ただ寝るだけ。本当の生活じゃない」と増田さんは顔を曇らせます。
入居者の減少で自治会役員の担い手がいなくなると、住民同士の交流機会も減ります。石巻じちれんは、集会所の鍵を管理する住民を窓口に常にコンタクトを取れるようにしておき、石巻じちれん開催のカラオケ温泉ツアーや観桜会などの交流イベントに参加を呼びかけて家のなかに閉じこもっている人を一人でも多く外に誘い出すようにしています。
生活再建の方法がまだ見えない住民は集約による転居、その後の住まい、経済的問題と不安が消えることはありません。石巻じちれんのように親身に寄り添って支える存在が、被災地ではますます重要性を増しています。
※ 「応急仮設住宅一覧」(平成28年4月1日現在、石巻市)
被災地のいま312016-09-28
〜ひとの復興②〜
いまの暮らしと帰郷の思い
「働く場所や家族の事情も考えて、こちら(避難先)に移住することに決めたの」「災害公営住宅ができていないので、まだ戻れない」。宮城県外へ避難した被災者の声です。
宮城県から他県への避難者はピーク時の9,206人から5,815人(※1)に減りました。5年の間に避難先へ定住した人、宮城に戻ってきた人、まだ戻れずにいる人、さまざまです。
宮城県から他県への避難者はピーク時の9,206人から5,815人(※1)に減りました。5年の間に避難先へ定住した人、宮城に戻ってきた人、まだ戻れずにいる人、さまざまです。
宮城県が実施した調査(※2)では、県外避難者の多くが今後の生活をどうするか決められずにいることが分かりました。
県内にいれば日常的にテレビや新聞で宮城の復興のニュースを目にしますが、他県ではなかなかそうもいきません。
「故郷の状況がよく分からず、先行きの見えない不安を抱いているのではないか」と野口実基さん(宮城県震災復興・企画部震災復興推進課)は、避難者の生活を案じます。
「早く次の生活の目途が立つように必要な情報を提供し、相談に対応していきたい」と丁寧な取り組みを進めます。
避難者を受け入れた自治体でもきめ細かな支援活動が続けられています。岩手県一関市社会福祉協議会では、市内のみなし仮設住宅などに住む避難者を対象に、「ふるさとお茶っこ交流会」を開いています。一関市は気仙沼に隣接する地域。市内の避難者514世帯のうち360世帯(※3)が気仙沼市からです。「5年経ち、“最初は気仙沼に戻るつもりだったけれど一関に住むことにしました”と言う方が増えてきています」。交流会で避難者の様子を見守る菊地理子さん(一関市社会福祉協議会)は、そう言います。
気仙沼に戻るつもりの人も「交通の便を考えると帰郷を悩んでしまう時がある」「気仙沼の災害公営住宅に入って交友関係をうまくつくれるか心配」と不安を口にします。
長い避難生活で職場、学校、交友関係がガラッと変わった人は少なくありません。帰郷すると決意はしていても“現在の生活”を惜しみ、気持ちが定まらない日々が続きます。
※1 「都道府県別避難者数」平成28年2月11日現在(宮城県)
※2 「平成27年度県外避難者ニーズ調査」平成28年2月(宮城県)
※3 「沿岸被災地域などからの市内避難者の状況」平成28年1月31日現在(岩手県一関市)