トップページ > 災害支援 > 活動報告

災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

120件中 41~45件目(9ページ目)を表示しています。

2017-11-22 被災地のいま46
2017-11-21 被災地のいま45
2017-11-20 被災地のいま44
2017-11-17 被災地のいま43
2017-04-10 被災地のいま42

被災地のいま462017-11-22

牡鹿半島で温かい交流をつくる−おらほの家プロジェクト

牡鹿半島はほぼ全域が山地で、漁港や集落の多くはリアス式海岸の入り江にあります。 震災は半島で暮らす人たちの生活を一変させました。人口は約4,300人から約2,500人に減少(※)。
「過疎化が一気に進んだ」と、牡鹿半島でお茶っこや食事会の送迎サービス付きサロン活動を実施している「おらほの家プロジェクト」代表管理人の本庄年さんは言います。

長い避難生活のなか、若い世代は街に移住し高齢者は故郷に戻る形で世帯分離が進みました。集落も、家が残ってそのまま住み続けている人と家を失って高台に移転する人に分かれました。さらに世帯減少と独居高齢者の増加で、住民の交流が以前より少なくなりました。復興は進んでいますが、坂道が多く、バスも不便で、隣りの集落に行くにも通院にも、車を運転できる人の助けが要ります。
サロンの日、本庄さんたちは参加者のいる集落を送迎車で回り、清水田浜の「おらほの家」に案内します。お茶っこではお喋りや手芸に興じ、食事会では調理・食事・片付けを全員で行ないます。「一人暮らしだからみんなとお喋りできるのが嬉しい」「この辺りは気晴らしに出かける所が少ないのでサロンが楽しみ」と、参加者は満足して帰っていきます。

本庄さんたちはいま、ボランティアの減少や高台移転による集落再編に対応し、少人数スタッフでの運営、集落ごとの小規模お茶っこなど、サロン活動の見直しを図っています。
課題はやはり人手と送迎です。「高齢者の体調を見ながらの活動でもあるので、もう少しボランティアの手を借りたい。集落ごとのお茶っこは地域住民の手で行なうのが理想ですが、送迎がないと参加者が限られる。そのフォローも考えていかなければなりません」。

地元に温かい交流が残っているから、住み続ける、移住しても時おり帰ってくるという人は少なくありません。おらほの家プロジェクトのように、人と人の温かい交流をつくる取り組みが、これからも望まれています。

●「おらほの家プロジェクト」 https://oraho-oshika.jimdo.com/

 

※「平成27年国勢調査による石巻市の人口・世帯数」(石巻市)





被災地のいま452017-11-21

地域に、人が集まり、仲間が助け合える場をつくる−戸倉漁師の会

宮城県沿岸の漁港142ヶ所はすべて震災で甚大な被害を受けました。とくに漁港と集落が一体となった地域は生業だけでなく暮らしの基盤も失い、住民離散による故郷消滅の危機にも見舞われました。

南三陸町戸倉は、リアス式海岸沿いに水戸辺、波伝谷などの集落と中小の漁港が点在する地区です。震災で漁港も養殖設備も壊れ、多くの漁業者が船と家屋を失いました。

その戸倉地区に2年前、新鮮な海の幸や山の幸を提供する「感謝祭」の開催とオリジナルの商品づくりに取り組む漁業者のグループが誕生しました。「戸倉漁師の会」です。
会長の松岡孝一さんは「震災を経て戸倉の漁師たちの結束はより強くなった」と言います。戸倉には、同じ町内の志津川や歌津のように人が集まる商店街も復興市もありませんでした。そこで全国から寄せられた支援への感謝を込めて、月1回、第2日曜日に波伝谷漁港で“海あり、山あり、美味いもんあり”の「戸倉漁師の会 感謝祭」を行なうことにしたのです。感謝祭は今年の5月で15回を数えます。毎回、石巻や仙台からの観光客はもちろん、他の町へ移住した人たちも戻ってきて、故郷の賑わいを体験していきます。

また漁業の6次産業化を目指し、カキを酒粕で漬けた「ほろ酔い牡蠣」やヒジキのシバ漬けなど新たな商品開発にも挑んでいます。
震災から6年、高台への集団移転が終わり、港湾施設の復旧も進みました。一方、ホヤが輸出できずカキも思ったほど価格が上がらない、後継者が不足しているなど、まだ苦労は続きます。
「漁師の会のメンバーは現在10数名。戸倉には100人前後の漁業者がいる。イベント会場などの課題はあるが仲間を増やしていきたい」と松岡さん。「海に出られなくなった年配の漁師を、仲間の若い漁師が手伝うことができる」と期待します。村岡賢一さんも「楽しみながら仕事ができるような仲間づくり、地域づくりが大事」と話します。
「漁業も暮らしも、本当に大変なのはこれから」と松岡さんが言うように、被災地の復興はまさにこれからが正念場です。 





被災地のいま442017-11-20

人口が減っても、経済が回り、選ばれる町を目指す

人口が集中する都市部。なかには被災した町を故郷に持つ人もいることでしょう。 震災後、沿岸部の町では数千人規模で住民が流出するなど急激な人口減少が進んでいます。被災市町にとって、復興の担い手となる住民の流出は大きな課題です。

女川町は震災前に約1万人だった人口が約6千7百人にまで減少しました。今後日本全体で人口減少が進むなかで、町は厳しい現実を冷静にとらえ、「人口減少下においても賑わいと活力を維持し続けられる町を目指す」ことを総合戦略(※)に掲げています。

そのような人口減少下について、「活動人口の創出」や「新産業の創出」で町と連携し、事業を進めているのがNPO法人アスヘノキボウです。アスヘノキボウの後藤大輝さんは「“活動人口の創出”は、外からビジネスや文化活動で入ってくる人を増やして町を盛り上げていこうとするまちづくり戦略。女川が縁で新しい関係が生まれ、女川に関わる人が増える。その環境をつくっていく」と話します。 例えば「お試し移住プログラム」は、5日間〜30日間、女川のシェアハウスに滞在し、暮らしを体験するプログラムです。昨年度は学生、フリーランサー、会社員、経営者など88人の参加がありました。参加者は町の人と話し、一緒にご飯を食べ、日々復興していく様子を見ながら、長い時間を町で過ごします。「“自分の人生のなかでも、かなり濃い時間を過ごせた”と言って帰った人もいました」(後藤さん)。

また、「創業本気プログラム」からはすでにレストランや手造り石けん工房などの事業が道を拓いています。「地方で魅力的な仕事をつくる人を増やして、Iターン・Uターン者の流入を促したい」と後藤さん。「人口減少は日本全体で始まっている。人口が減ってもその地域の経済が回り、文化がつながっていくことが大事。女川町でそのモデルをつくることができれば」と将来に目を向けます。
人口減少は税収減や過疎化をもたらします。復興の苦労が続くなかで人の活力をどう生みだしていくか、被災した町それぞれが、厳しい現実と向き合いながら前を向いて歩んでいます。

※「女川町まち・ひと・しごと創生総合戦略」(平成28年7月策定)





被災地のいま432017-11-17

住民の自治で新しい故郷をつくる


防災集団移転地や復興公営住宅は、震災で家と故郷を失った人たちの生活再生の場所です。

東松島市あおい地区は580世帯、約1800人が暮らす防災集団移転地です。大曲浜や野蒜(のびる)など様々な地域から移転した人たちが「日本一のまち」を目指し、コミュニティ活動を進めています。

同地区会会長の小野竹一さんは、「日本一のまち」の意味を「子孫に喜ばれるまち、亡くなった方の魂が帰ってこれるまち、支援してくださった全国の皆さんに“見に来てください”と言えるまち」と話します。そのため2012年からまちづくり整備協議会を立ち上げ、特色ある公園や集会所の建設、ペットとの共生などを実現してきました。

協議会の役員は、地域の仕来り(しきたり)やルールなど様々な声を反映できるよう、以前住んでいた各行政区から必ず1人は選出するようにしました。1丁目・2丁目・3丁目の区割りは、高齢化率を踏まえ、復興公営住宅と自力再建地区の組み合わせにしました。自力再建地区に多い若い世代が、復興公営住宅に多い高齢者と一緒に自治会活動を行なうことで自然な見守りができると考えたからです。

また、あおい地区会として「見守り部会」を設け、お茶会や訪問見守りなど高齢者の状態に応じたサポートを行なうことにしました。高齢者の健康維持のために「あおい農園」設置の計画もあります。

小野さんは東松島市に「住民による高齢者支援を地区会に業務委託してほしい」と要望しています。「NPO等が委託を受けて活動している例もあるが、いつかは撤退する。支援のノウハウも地元に残らない。見守りは介護予防、ひいては行政のコスト削減につながるし、業務委託は自治会の活力にもなる。市と社会福祉協議会、あおい地区会の三位一体の取り組みができれば」と話します。

防災集団移転による新しいまちづくりは、どこも始まったばかり。あおい地区と同様に多様な課題を一つ一つ乗り越えていかなければなりません。自治会の担い手がいるか、行政とうまく連携できるか、交流や支え合いをどう生み出していくか。失った故郷に変わる新しい故郷をつくるための取り組みが続きます。





被災地のいま422017-04-10

人とひとが支えあって孤立を防ぐ
 
「災害公営住宅の自治会活動には、既存の自治会、地域のお世話役、NPOなど“人を支える杖”があることが大事です」。
 
気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンターの皆さんがそう言って例に挙げたのが、南郷三区自治会です。南郷三区自治会設立には、南郷地区に元々あった自治会組織の協力がありました。住民同士のお茶会をきっかけに高齢者のサロンも生まれています。
 
藤原武寛さん(南郷三区自治会会長)は住宅内を“支える杖”の一人です。
「入居者の6割近くが65歳以上の高齢者。自治会では高齢者の孤立防止と住民同士の交流のため、月1回イベントを開催していますが健康上の理由や気持ちの問題で参加しない方もいます」。
藤原さんは時間を見つけてはそうした住民のもとを訪問するようにしています。「足を向けると2時間でも3時間でも話し続ける。悩みや困り事を誰かに聴いてほしくて、待っているんです」。また各フロアの班長さんたちは、郵便物や新聞が溜まったままの家がないかどうか、気を付けて見るようにしています。
 
住民同士のつながりは徐々に深まりつつありますが、新たな課題も浮上してきています。
「重いストレスを抱えた方や震災と避難のショックで精神的に参っている方が増えているような気がします」。今年の3月11日で震災発生から6年が経ちますが、実際の復興に心が追いついていない人は、まだ大勢いるのです。「深夜の大声や騒音などのトラブルも発生している。今後は家賃の被災者特例が無くなることで経済的に困窮する世帯も出てくるでしょうから、それも心配です」。
 
やっと落ち着く場所を手に入れた人たちが、そこで安心して暮らし続けていくためにどんな支えが必要か、これからも考えていかなければなりません。