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災害支援

つながろう co-op アクション

活動報告

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2015-03-19 被災地のいま12
2015-03-18 被災地のいま11
2014-12-11 被災地のいま10
2014-07-15 被災地のいま9
2014-06-05 被災地のいま8

被災地のいま122015-03-19

販路喪失と風評被害からの回復をめざして
 
宮城は日本有数の水産県で、大型漁港に水揚げされるマグロやカツオ、サンマをはじめ、浜ごとに養殖されるカキ、銀ザケ、ワカメなど多種多様な水産物を国内外に送り出しています。
 
大震災の発生から3年半。漁船や養殖施設の復旧に伴い、水産物の生産量は少しずつ回復しています。近海カツオ・マグロなどの水揚げは6〜7割、養殖の銀ザケは約8割、ワカメは震災前の水準を超えました。ことしの初夏には、生育に3年かかるホヤが震災後初めて収穫されています。カキの生産量減少や価格低迷、復旧工事の遅れなど厳しい状況は変わらず続いていますが、海は徐々にかつての豊かさを取り戻しつつあります。
 
しかし最大の課題は、その水産物の販路をどう確保していくかです。「震災で宮城の水産物供給がストップしている間に、他の産地の物に取って代わられてしまった」。宮城県漁協の丹野一雄会長は、販路がなかなか回復しない現状を話してくれました。
 
追い打ちをかけたのが、放射性物質飛散事故でした。「特に関東以南は不安視する販売店が多く、取引を拒まれました」。宮城の水産業は、震災で多大な打撃を受けただけでなく、風評被害という負荷も背負うことになったのです。放射性物質検査で基準を超える水産物は一切流通させていないにも関わらず、「風評」はいまも続いており、「県や国の協力を得ながら解消していくしかない」のが現状です。
 
一方、そこで踏みとどまるよりも「これまで以上に販売力を強化していきたい」というのが丹野会長の考えです。宮城の水産物をPRするため、関西でも販売促進のイベントを予定しています。「震災だから協力してほしいという時期は過ぎた。宮城の水産物は美味しいので買ってほしい、と自信を持ってお奨めしていきます」。
 
※宮城県「復興の進捗状況—平成26年7月11日」「東日本大震災からの復興状況(水産業関連)—平成26年5月」




 

 

被災地のいま112015-03-18

ケアされない子どもたちへさらに支援を
 
子どもたちは、地震・津波の恐怖はもちろん、親や友人との離別など大人でさえ乗り越えるには困難な体験をしてきました。先ごろ河北新報社(宮城県に本社を持つ新聞社)が沿岸部の小中学校を対象に行った調査(※)では約7割の校長が「自校の児童・生徒に震災の影響と思われる問題がある」と答えています。
 
小林純子さん(災害子ども支援ネットワークみやぎ代表世話人)は、「震災後3年の間に再就職できたり自宅を建てたりして生活再建できた家庭と、未だに回復できていない家庭の状況はかなり異なり、それが子どもにも反映している」と言います。
 
震災で受けた心の傷が十分にケアされず、ストレスを溜めている子が多いこと。保護者の傷つき度合いが激しいほど子どもの気持ちは放置されがちなこと。そのなかで大人の様子を伺いながらじっと我慢している子どもたちが多いことを、小林さんは憂います。
 
また乳幼児へのケア不足も指摘します。「学校や幼稚園・保育園ではスクールカウンセラー、先生方が子どもを支えてきたが、乳幼児はそうした組織的なケアがなかったため、震災体験を強く引きずっている母子がいる」。
 
なかには母親がうつ状態となったため、震災後に生まれたにも関わらず無表情などのうつ症状が出ている乳幼児の例もあります。「津波や地震を体験しなかったから大丈夫なわけではない。震災の影響は後々まで引き継がれていってしまう。これから10年20年とずっと見守っていくことが必要」と小林さんは訴えます。
 
震災体験を語り継ぐ一方で、傷ついた心は引き継がないようケアしていく努力が、関係者はもとより周囲のすべての大人に求められているのかも知れません。
 
※河北新報社が2013年12月宮城県沿岸自治体15市町の公立小中学校245校を対象に実施した調査



 

 

 

被災地のいま102014-12-11

依存症の背景にある不安

「まさか3年以上も仮設住宅にいるとは思わなかった」。最近そうした嘆きをよく耳にするようになりました。
 
長引く避難生活は生活不活発病やアルコール依存症などの引きがねとなります。仮設住宅入居者を対象にした県の健康調査(※)では、「震災前に比べ日頃の生活で体を動かす機会が少なくなった」との回答が約半数を占めました。「朝または昼から飲酒する」人の割合は前年度より増えており、特に男性にその傾向が高くなっています。また21.1%の人が「災害を思い出して気持ちが動揺することがある」と答えています。
 
女川町は人口の約1割が津波の犠牲になりました。「皆さん喪失感が大きい」と町健康福祉課の三浦ひとみさんは言います。町は「こころとからだとくらしの相談センター」事業で町内8カ所に心と体の専門員や相談員を配置。「外出して人と交流する。その積み重ねが生活不活発病の予防になる」と考え、健康体操やお茶会、戸口訪問を行っています。
 
アルコール依存症の人も増えています。「依存症には津波で家族を喪った、家を無くして借金があるなど様々な背景があるので、半年や1年で解決するほど簡単ではありません。本人が治療してみようという気持ちになるまで寄り添うことが大事」と長期にわたるケアを重視します。
 
女川町では今年3月待望の災害公営住宅が完成しました。しかし計画945戸のうち出来たのは200戸だけで、残りは2年後の平成28年度を待たなければなりません。「引越してまた一から隣人関係を築き直す不安もあれば、あと2年間仮設に居なければならないという不安もある。そうした不安を専門員だけでなく、いろんな人が見守りながら受け止めていければと思います」と三浦さんはその思いを話してくれました。

※宮城県「平成25年度応急仮設住宅(プレハブ)入居者健康調査結果の概要」




 

 

被災地のいま92014-07-15

急がば回れの合意形成
 
被災した自治体のなかには、集団移転や街づくりなどで住民との合意形成がスムーズに進まず計画が停滞しているところが少なくありません。

本来なら、行政が提示する複数の計画案を住民が検討して合意に至るべきなのですが、震災の非常事態で行政も住民もそのための時間を十分にとれませんでした。復興事業の着手を急ぐ行政の対応に住民から疑問の声があがり、結果として計画の遅れを招くことになりました。
 
一方、気仙沼市内湾地区では防潮堤の高さを巡って行政と住民が対立。しかし県・市・住民の三者で議論を重ね、計画の変更を経て合意形成に至っています。
 
菅原昭彦さん(気仙沼商工会議所会頭)ら地域住民は、県の提示する防潮堤計画に高さの見直しを求めましたが、当初は平行線のままでした。「しかし、ただひとつ一致したのが復興を遅らせてはならないということでした。そこから県・市・住民が互いの役割を明確にして議論していこうと話が進んだのです」。
 
気仙沼市内には防潮堤を巡って話し合いの続く地域が、まだ幾つかあります。「合意形成には行政の丁寧で誠実な対応がなければならないし、住民が勉強する時間も必要」と菅原さんは言います。「県は内湾地区に対し、ここ数カ月きちんと対応してくれました。同じ対応を他の地区でもやってくださいとお願いしています。合意形成に至るプロセスで必要なのは、急がば回れの精神なのです」。
 
丁寧さが復興のスピードを上げる近道でもあることを、気仙沼内湾地区の事例は教えてくれます。




 

 

被災地のいま82014-06-05

仮のコミュニティに身を寄せて
 
震災で、大きな被害を受けた沿岸部の人たちは、長年培ってきたコミュニティを離れ、バラバラに暮らさざるを得ない状況へと追い込まれました。
 
仮設住宅も様々な地域から入居した人が多く、コミュニティの分断は一層進みました。仮設住宅では新たなきずなも生まれましたが、結局は自立までの仮のコミュニティに過ぎません。実際、現在は自宅再建や再就職による転出者の増加などで、空洞化が進んでいます。
 
東松島市「グリーンタウンやもと1」の内海聡子さん(グリーンタウンやもとひまわり集会所代表)は、「引越業者の姿を見ない日はないほど、転出が増えている」と言います。
 
グリーンタウンやもと1は自治会ができる前から、ゴミの整理や夜間の見回りを自主的に行なうなどコミュニティ活動が活発でした。しかし活動に熱心な人たちほど早く自立し、昨年は、自治会役員7人のうち4人が転出していきました。

今後は、民有地の返還にともなう仮設住宅の集約・統合が、住民を待ち構えています。「災害公営住宅など、終の棲家(ついのすみか)への転居なら、落ち着いて暮らせるからまだいいのです。でも仮設から仮設に移り、災害公営住宅の入居を待ちながらもう一回、知らない人たちと交友関係を結んでいかなければならないなんて…。ストレスでしかありません」。
 
被災した人々は、自分たちのコミュニティが壊れていく現場に立ち会ってきました。それは想像以上に重い負担だったに違いありません。3年のあいだに故郷に戻りたくても戻れず、気力も体力も弱って仮設住宅で亡くなった高齢の方も多数います。

元のコミュニティを去り、そのつど異なるコミュニティに身を寄せる暮らし。そして将来に希望が持てない、そんな心細さと向き合う人たちが、被災地にはまだ大勢いるのです。