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2015-07-06 | 被災地のいま22 |
2015-06-12 | 被災地のいま21 |
2015-06-11 | 被災地のいま20 |
2015-06-10 | 被災地のいま19 |
2015-06-09 | 被災地のいま18 |
被災地のいま222015-07-06
震災孤児・遺児を支える眼と手
宮城県では震災で1,087人もの子どもが親を亡くしました。両親をなくした「孤児」は136人、父または母をなくした「遺児」は951人。多くの子どもたちが将来も続いたであろう親の庇護を失ったことになります。
宮城県は震災直後から避難所を訪問して保護を要する子どもたちの実態把握を行い、2014年(平成24年)3月から全国・全世界からの寄付金をもとに「東日本大震災みやぎこども育英基金支援金・奨学金」制度を立ち上げ、未就学児から大学生まで希望のあった1,048人に対し、金銭的支援を始めました。孤児のうち134人は祖父母や叔父・叔母などのもとに身を寄せ、2人が児童福祉施設に入所しました。また、里親制度を利用している親族には上記の支援金・奨学金のほかに国から生活費や教育費の支給があります。また孤児・遺児ともに民間の奨学金も併用できるので、経済的なバックアップの用意はある程度整っていると言えそうです。里親家庭には児童相談所員が定期訪問し、子どもの様子を聞いたり、接し方などについてアドバイスを行なっているほか、心のケアにも子ども総合センターやスクールカウンセラーなどさまざまな機関と連携して取り組んでいます。
しかし、そうした子どもを見守る方々は、保護者の精神の不安定が子どもに投影されている、幼児だった子が4年経って体験を喋るようになりPTSDを発症するかも知れないなどの懸念を持っています。20年前の阪神・淡路大震災の際も、これらの問題は4年目にピークを迎えた、という状況があるからです。問題はそれだけではありません。宮城県保健福祉部子育て支援課の吉岡弘さんは「保護者は高齢の方が多いので、いつまで養育できるか」と心配を口にします。さらに懸念しているのが虐待の増加です。県は強い危機感を持って防止に取り組んでおり、「児童相談所全国共通ダイヤル“189(いちはやく)”を周知し、連絡を受けたらすぐに動ける体制づくりを進める」と話します。
2011年3月11日午後2時46分を境に人生が大きく変わってしまった孤児・遺児を見守り、支える取り組みが、懸命に続けられています。
※人数等はすべて2015年3月31日現在のデータ(宮城県)
被災地のいま212015-06-12
声なき在宅被災者の苦しみ
床も天井もぼろぼろ、畳は腐り、壁の隙間から風が吹き込む—。4年を経たいまも、津波で壊れた家に我慢して住み続ける人たちがいます。「在宅被災者」と呼ばれていますが、復興庁発表の「避難者」にはカウントされず、生活実態もほとんど知られていません。
在宅被災者の支援団体「チーム王冠」の代表・伊藤健哉さんは、石巻エリアだけで約12,000世帯の在宅被災者がいると推定しています。 避難所に入れなかった、応急仮設住宅で体調を崩して自宅に戻ったなど在宅を選ばざるを得なかった理由は百人百様ですが、共通しているのは応急仮設住宅で避難生活をしている方に比べ、支援がきわめて薄いことです。
「お金はない。食料や生活物資の提供もない。家財道具は津波で持っていかれた。義援金が入るのは半年後。生活が苦しい上に、52万円の応急修理制度では水回りを直すだけで精いっぱいです」チーム王冠が昨年石巻エリアで「家屋修繕状況調査」を実施したところ〝経済的理由で修理ができずにいる〟あるいは〝必要最低限の修理だけであきらめている〟現状が明らかになりました。自治体等の支援制度を合わせれば約250万円(※)まで利用できるのですが、大規模半壊や全壊の家を修繕するには約1,000万円必要と言われており、経済的に余裕のない世帯や年金生活の高齢者にとっては到底無理な話でした。
2014年、災害対策基本法が改正され、在宅被災者支援が盛り込まれました。しかしそれは今後の災害に向けてのもの。「東日本大震災の在宅被災者は、町内会も無くなり、高齢化も進んで心身の不安も抱えているのに、いまだに放置されたままなんです」。伊藤さんは「このままだと東日本大震災の在宅被災者は無かったことにされてしまうのではないか」と不安を抱いています。
「在宅被災者の問題を何とかしないといけないという声が全国からあがれば、国も動かざるを得ません」。そのためにも壊れた家に住み続けている人たちがいることを忘れないでほしい。その生活の大変さを理解してほしい、そう伊藤さんは訴えます。
※被災者支援法による加算支援金、住宅再建支援事業など(自治体によって違いあり)。
写真提供:東日本大震災一般社団法人チーム王冠 http://team-ohkan.net/
被災地のいま202015-06-11
苦しみの声をあげない生活困窮者
震災で貧困層が拡大した。そんな話をよく聞きます。最近行われた調査(※)では、被災した2,338世帯のうち年収200万円未満(課税前)の低所得家庭が震災後6.2%増加し、全体の約3割を占めていました。低賃金で家計を支えるシングルマザーやぎりぎりまで生活費を切り詰める高齢者など、弱い境遇にある人ほど状況は深刻です。
東松島市くらし安心サポートセンター(東松島市社会福祉協議会)の阿部誠さんは、昨年、生活困窮者支援モデル事業に取り組む中で、“義援金でやり繰りしてきたが使い果たしてしまった”“精神的に落ち込んで仕事を再開できない”など、まさに生活困窮に直面している人たちに向き合ってきました。しかし一方で、「震災による生活困窮者の全体像が見えてこない」とも感じています。
同センター所長の千葉貴弘さんは、仮設住宅入居者の支援業務にあたっていますが、「“生活が苦しい”と自ら手をあげる人が少ない」ことに気付きました。こんなことがあったそうです。「災害公営住宅への転居費用は一時本人が負担し、その後補助を受けるのですが、当座の6、7万円のお金が用意できない方がいました。被災者サポートセンターの職員が気付いて対応できましたが…」。辛さや苦しさを抱えたまま声をあげずにいると、誰かが気付かない限り、支援の網の目からこぼれ落ちてしまう可能性があります。
「そうした潜在的な困窮者がいることを、頭に入れておかないといけない」と千葉さんは言います。「仮設住宅の場合、家賃がないことが生活困窮者の存在をより見えにくくしている」と、阿部さんは指摘します。東松島市の災害公営住宅は現在321戸が完成していますが、すでに家賃の滞納があるという話も耳にしており、今後の行方を気にします。生活再建の道を着実に歩む人と、生きるのが精一杯の人の差がどんどん開いていく被災地。一人ひとりの事情を踏まえ、自立のための支援を続けることが求められています。
※「被災地・子ども教育調査—2014年」(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン)
被災地のいま192015-06-10
“心”の回復の格差
「津波に流されたけど助かりました」「PTSDの治療を受けています」。4年を経過してようやく被災体験や苦しい胸のうちを語れるようになった方々がいます。それもすべてを吐き出すのではなく、ごく一部分をポツリと。宮城県の調査(※)では、「支援が必要な程度の心理的苦痛を感じている人」の割合は8.2%に達しています。また19%の人が「災害を思い出して気持ちが動揺することがある」と答え、16.9%の人に不眠の症状があります。
(社)宮城県精神保健福祉協会が運営する「みやぎ心のケアセンター」気仙沼地域センターの片柳光昭さんは、「皆さん多かれ少なかれ“トラウマティック”な体験をしているので、語れずにいることが常に心のなかにある」と話します。さらに最近は、震災直後から指摘されていた「ハサミ状格差」(ダメージから回復できる人とできない人の差が時間の経過とともにハサミが開くように広がっていくこと)が、より顕著になってきました。片柳さんが被災者と話をする中で実感したのは「いったんPTSDが回復しても生活上の課題をクリアし続けないと現状を維持できない」ことでした。預貯金等の経済的基盤があるか、仕事があるか、あるいは継続できるか、家族の関係性はどうか、また、例えそれらの条件が整っていても仮設住宅では近隣との人間関係が良くないことで、メンタルヘルスは悪化することがあります。このように生活上のハードルを乗り越え続けないと、“上向きのハサミの刃”にはなれないのです。さらに高齢者や障害者を支援する側の人たちも人手不足で疲弊するなどの状況が重なり、ケアの難しさに拍車をかけています。
「震災で人口流出や高齢化が加速した。まちに残った住民に様々な負担がかかり、その結果としてメンタルヘルスの悪化を招くという状況になりかねない」と、片柳さんはすべての問題が連動するがゆえに解決を難しくしている被災地の現状を訴えます。「心の復興はまちの復興と連動している」と言われます。「きちんとした住まいが手に入り、雇用環境も良くなることが心の復興を後押ししてくれる」。新しいまちができるのはまだまだ先。心のケアの取り組みはこれからも続きます。
※「平成26年度応急仮設住宅(プレハブ)入居者健康調査」
被災地のいま182015-06-09
これからも待ち受けるハードル
沿岸部の景色はまだら模様に変化してきました。がれきの処理が終わり、土地の嵩上げ工事や復興住宅の建設が進む一方で、壊れた防波堤や水門、建物がいまだに残る場所もあります。仮設住宅には現在も約7万人が暮らし、集団移転事業で住宅建設が可能になった宅地は計画の3割にも達しません(※)。造成工事が長引き、地価や建築費の高騰でより厳しい状況に直面している人や、移転を待ちきれず故郷を出た人たちもいます。
南三陸町志津川地区まちづくり協議会は、住民による自主的な復興まちづくりを進めるため、集団移転や市街地形成など様々な協議を重ね、意見を集約して行政に提言しています。「4年も経つので住民の間には焦りや不満が出ている」と協議会の及川善祐会長は話します。「しかし我々住民の気持ちがバラバラでは統一したまちづくりはできない。そうならないように良い方法を決めて、協力し合う環境をつくっていくのが協議会の役目です」。
集団移転一つとっても区画配置、移転方法、店舗付住宅の内容など懸案事項は無数にあります。さらに高齢化が進む移転先で買物や病院、交通など生活に必要なインフラをどう確保するか、個々のニーズと公平性のバランスをどうとっていくかを考える状況が続きます。
志津川地区には3ヶ所の集団移転団地が計画されています。工事完了はまだ先で、なかには再来年引き渡し予定の区画もあります。家が建つのはその後で、さらに新コミュニティ形成という最大の課題が待ち受けています。
及川会長は「いままで交流のなかった者同士が隣組になる。そのなかで新しいコミュニティをつくっていかなければならない」とその難しさを説明します。ハードルはまだまだ幾つも残っています。被災した方々がそのハードルを飛び越える過程で確実に希望の種を増やしていくことを祈らずにはいられません。
※宮城県「復興の進捗状況 平成27年2月11日」